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2011年9月29日

●取材・執筆/佐々木 敦子・本誌編集部

 

未踏の地を追い求めた男
キャプテン・クック
Captain Cook

ヨークシャーの港町でロンドンへ石炭を運ぶ船を眺めては、
彼方への憧れを膨らませていた少年時代のジェームズ・クック。
「遠くへ行ってみたい」という想いは彼を航海士にし、
やがてはキャプテン・クックとして知られる名船長へ成長させる。
ハワイの発見を始め、彼が海洋冒険家として成し遂げた、
文字通り世界の地図を塗り替えた経緯を紹介する。

 

 2011年に最終飛行を終えたNASAのスペースシャトルと、月面着陸のために作られたアポロ15号は、いずれも「エンデバー(Endeavor)」号と名付けられている。これはクックの第1回南太平洋探検の時に使われた帆船の名前にちなんでいる。エンデバー号が1768年にロンドンのドックランズから船出した時、南半球には「北半球にあるのと同等の、大きな大陸があるのではないか」と考えられていた。そんな時代にあっての海洋探検は、スペースシャトルによる宇宙探索にも等しい期待や危険を伴っていたのではないだろうか。
 新しい土地の発見とその植民地化をめぐり、欧州がしのぎを削っていた時代に生まれあわせた、ジェームズ・クックという一人の男性の波瀾万丈の生涯を辿ってみよう。

 キャプテン・クックことジェームズ・クック(James Cook)は、1728年10月27日、ヨークシャー北部のマートン(Marton)という小さな村に生まれた。当時の英国はイングランドとスコットランドが連合したばかりで、「グレートブリテン王国」が誕生してから20年。次第に「英国」としての国力を高めつつある、上昇の機運に富んだ時期にあった。この時代に多くの優秀なスコットランド人がイングランドへ移住したが、父親のジェームズ・シニアもまたスコットランドの辺境出身で、よりよい暮らしを求めてイングランドにやってきた一人だった。
 彼はマートンではハンサムで性格のいい働き者の小作人として知られ、妻のグレイスとの間に5人の子供をもうける。後のキャプテン・クックとなる次男のジェームズは、8歳から兄と共に農場仕事を手伝い始め、勤勉な親子の姿は村でも有名だったといわれる。  特に利発で明朗闊達なジェームズ少年に感心した領主は、彼を学校にやろうと申し出、ジェームズは農場で働きながら初等教育を修めるチャンスを得る。そして17歳になったところで、両親の勧めもあり町へ奉公へ出ることになる。単なる「勤勉な肉体労働者」以上の人間になるように、というのが彼らの願いであった。
 しかしジェームズが家族と別れて向かったのは、ステイテス(Staithes)というヨークシャー北部の漁村にある雑貨店だった。ここで商売に関してのノウハウを学ぶというのが、ジェームズの父親と店主との間で交わされた約束だったらしい。
 幼い頃から農場で働いていたジェームズは、17歳にしては非常に背が高く、父親譲りの彫りの深い顔立ちをした逞しい青年に成長していた。当時を知る人々によれば、ジェームズの生涯を通して変わらない「自分を信じ、断固とした決断をする」という独立独歩の姿勢は、この頃すでに現れていたという。そんな彼にとって、雑貨店での丁稚奉公は何とも単調な日々だったようだ。よく働くので雇い主にも顧客にも好かれたが、物足りない気持ちを抑えることは出来なかった。
 ジェームズは暇さえあれば港に向かい、漁船やロンドンへ石炭を運ぶ商業船などを眺めていたという。仕事帰りにパブへ行き、そこで漁師たちの交わす様々な話に耳を傾けるうちに、次第に彼は海や見知らぬ土地に対する憧れを募らせていく。

 

 

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