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「水」と「樹木」の芸術家

 彼の作り出した庭園は、建物から広がる、なだらかな起伏の広大な芝生地帯、茂み、木立、そして小川をせき止めて作られた湖水などが絶妙のバランスで配置され、周辺に広がる田園風景とすらも調和した一服の風景画のような美しさを備えていた。
 もちろん「自然風景のような庭園」といっても、その景観を作り出すためには不要なものを取り払うほか、時には川の流れさえ変えるといった大掛かりな工事を要する。彼の得意とするのは沼、湖、小川、蛇行した湖、カスケード(階段式に連続した滝)といった水のデザインと、樹木を使った空間演出だった。
 そして何よりも、庭を一見して何を削り、どこにポイントを作り、何を植えるべきかを見極める天賦の才がブラウンには与えられていた。
 しかし、当時の主流であった幾何学的・装飾的な要素を極力排したブラウンの庭園には「退屈」「単調」「人間味がない」という批判もつきまとった。また「自然を模倣したに過ぎない」という声も多かった。この時代、多くの人々にとって、いまだ「自然」とは征服し支配するべきものであり、その優美さを愛で、讃え、そこから学ぶというものではなかったのである。
 例えば彼と同時代を生きた著名建築家ウィリアム・チェインバースはブラウンを真っ向から否定し、詩人のリチャード・オーウェン・ケンブリッジにいたっては、「ブラウンより先に死んで、彼に『改善』されてしまう前の天国を見ておきたいものだ」と皮肉った。 時代の最先端をゆく者に対する風当たりの強さはいつの世にあっても避けられないものなのかもしれない。ただ、そのような批判や中傷をよそに、ウィリアム・ケントの作り出した「風景式庭園」はブラウンの手によって国中に広められ、ヨーロッパの庭園史は新たな一ページを開くことになったのである。


大学の一部というには美しすぎる、ケンブリッジのザ・バックス(The Backs)

 

王室の庭まで任されたワーカホリック

 超人的な仕事ぶりによって英国の庭園スタイルを一新したブラウンは、その功労を認められ一七六四年に王室所有の庭園の主任庭師に任命される。この背景には名門ノーサンバランド公爵家の所有するロンドンの邸宅サイオン・ハウスの庭園を一新した業績が、王室関係者の目にとまったことも大きかったという。
 これを機にハマースミスからハンプトン・コートへと居を移したブラウンは、バッキンガム・ハウス(現在のバッキンガム宮殿)、セント・ジェームズ宮殿、リッチモンド公園、キュー・ガーデン、そしてハンプトン・コートといった王室所有の土地で造園を次々と手がけていく。
 またこれらの傍ら、個人的にも多くの造園を引き受け、晩年までそのワーカホリックぶりは衰えることがなかった。現存する庭園の中には後世の王室庭師たちによって手が加えられてしまったものも多いが、彼が晩年まで主任庭師を務めたハンプトン・コートでは、ブラウンの設計によって植えられたブドウ棚が現在も美しく手入れされ、毎年豊かに実をつけているという。

 

庭園探訪② チャツワース
チャツワース

 代々デヴォンシャー公爵家の住まいとなってきた、英国きってのマナーハウスのひとつ。『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』の作者ジェーン・オースティン(1775-1817)は、本作に登場する白馬の王子様的存在「ダーシー氏」の邸宅にこの屋敷を想定したと言われており、この作品を映画化した2005年公開作品『プライドと偏見』でも、ダーシー氏の屋敷という設定でロケが行われている。
 ケイパビリティ・ブラウンによる風景式庭園が取り入れられたのは、第4代デヴォンシャー公爵時代の1750年代から1760年代にかけて。水の階段ともいえるカスケード=写真右=は既に先人の手によって完成していたが、ブラウンはよりレベルの高い庭園を目指した。装飾性の強いパーテア(幾何学模様花壇)を取り払い、広大な芝生の丘陵に作り替えるなど大規模な工事が行われた。広大な敷地は様々なスタイルの庭園が組み合わされているが、19世紀に入り、第1回ロンドン万博で水晶宮を建設したことで知られる建築家兼造園家のジョセフ・パクストンによってさらに手を加えられている。英国屈指の名園とされるチャツワース、ピーク・ディストリクト観光の際にはぜひ訪れてみたいスポットだ。

【住所】 Chatsworth House, Chatsworth, Bakewell, Derbyshire DE45 1PP
www.chatsworth.org/

 

2017年 03月 23日

2017年 03月 17日

2017年 03月 22日

2017年 03月 01日