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英国の風景を作りかえた「庭園の超人」

 ブラウンは富と名声を得た後も生涯現役であり続けた。
 彼の頭の中には常に様々なアイディアがあふれ、一息つく暇さえ惜しかったのかもしれない。しかしそんな彼にあまりに突然の死が訪れる。
 一七八三年、自分の弟子であった建築家ヘンリー・ホランドと結婚した長女ブリジットのもとを訪れたブラウンは、その玄関先で階段から転げ落ち、帰らぬ人となってしまうのである。
 当時の文化人であり、ブラウンの崇拝者でもあった作家ホレイス・ウォルポールはあまりに突然の出来事に、知人の貴婦人にあてた手紙の中で「ドリュアス(ギリシャ神話に登場する木の妖精)たちは喪に服さなくてはなりません。彼らの義理の父であり、自然という名の貴婦人の第二の夫が亡くなられたのです!」と記し、その死を悼んでいる。
 ブラウンの亡骸は、彼が造園家として成功をおさめた後に購入したケンブリッジシャーの屋敷、フェンスタントン・マナーに近い聖ピーター&聖ポール教会に埋葬されたのだった。
 「樹木と湖水、そしてそれを囲む広大な芝生地帯」が基調となったブラウンの庭園は、後世の造園家たちに多大な影響を及ぼした。時代と共に新しい流行が生まれ、そして廃れていった後も、その光景は英国人の郷愁を誘う眺めとして揺らぐことなく生き続けている。一冊の書物すら残さなかったにもかかわらず、彼が思い描いた景観は二百二十年以上経った現在でも愛され続けているのだ。


トレンタム(Trentham)のイタリア式庭園 © Kevin Rushton

ブラウンのお師匠さん!?
ウィリアム・ケント
(1685-1748)
 若き日のケイパビリティ・ブラウンが、その才能を見事に開花させる舞台となったのはバッキンガムシャーのストウ屋敷。これは当時この屋敷の主任庭師を務めていたウィリアム・ケント(William Kent)=写真=に負うところが大きい。
 ケントは画家を目指しイタリアに滞在していたところを、芸術に深い造詣を持つバーリントン卿に見いだされて英国に帰国。同卿の保護を受けながら建築家、造園家、インテリア・デザイナーとして活躍した人物だ。「風景式庭園(landscape garden)」という、自然の風景を取り入れた英国独自の庭園様式を作り出したことで歴史にその名を刻むことになった。
 ケントの念頭にあったのは、詩人のアレキサンダー・ポープがバーリントン卿に贈った「すべてにおいて、決して自然を忘れるな。すべてにおいて場の精霊に問いかけよ」という言葉だったという。
 しかし彼は芸術家肌(文字は読めなかったという説あり)で凝り性、旅を嫌いロンドンの自宅や友人宅で過ごすのを好んだため、あまり多くの庭園を残さなかった。一方、彼のアシスタントとして働き始めたブラウンは旅を厭わない仕事人間で、ビジネスマンとしての手腕もあり、イングランド中に残した庭園は数知れず。このため「風景式」の造園家の中で最も知られる人物になってしまった。「風景式庭園」の生みの親、ケントは偉大過ぎる弟子を持ってしまったのかもしれない。
 

2017年 03月 23日

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2017年 03月 01日