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2011年3月31日 No.670

●Great Britons●取材・執筆/佐々木 敦子・本誌編集部

不思議の国の住人
ルイス・キャロル

『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』といった児童文学の名作を生み出し、英国が誇る作家として現在も世界中の子供たちを魅了するルイス・キャロル。写真家や数学者としての顔も持ち、その憂いを含んだ肖像写真は「ヴィクトリア朝のダンディ」という印象を与える。だが、実はキャロルの生涯はいまだに謎に包まれていることが多く、時代や伝記作家によって、描かれる彼のイメージは大きく異なる。心優しい宗教家、頭の切れる無口な才人、またはポルノまがいの写真を撮る小児偏愛者。数々のレッテルを貼られたルイス・キャロルの素顔に迫ってみたい。

 

 

参考文献  ●「The Mystery of Lewis Carroll」 by Jenny Woolf /2010 Haus Books London

●「不思議の国のアリスの誕生」 ステファニー・ラヴェット・ストッフル著・笠井勝子監修/創元社
●「ヴィクトリア朝のアリスたち」ルイスキャロル写真集 高橋康也/新書館

 

  1865年の出版以来、日本語はもちろんスワヒリ語や、ドイツ語の一方言といわれるイディッシュ語など、現在までに計65もの言語に翻訳され、英米では聖書とシェイクスピア作品に次いで読まれているという『不思議の国のアリス』。白ウサギの後を追ってウサギの穴に飛び込み、奇妙な世界に入り込んだ少女アリスの大冒険を描いた、このおなじみの物語は、31歳の数学者キャロルが、当時「9歳の友人」、アリス・リデルにせがまれ、ボート遊びの際に語ったものを後に文章化して出版した作品といわれる。夏の明るい日射しの中、ボート上で子供たちと楽しげに語らう青年ルイス・キャロルの罪のない姿は、伝記の中で語られる定番であるが、物語のモデルとなったとされる「9歳の友人」アリスとの関係を含め、『不思議の国のアリス』誕生のストーリーを改めて探ってみよう。
ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgeson)は、1832年1月27日、ヴィクトリア女王即位を5年後に控え、英国が世界にその国力を示し始めた輝かしい時期に、イングランド北西部チェシャーのデアーズベリー(Daresbury)という、人口わずか150人の小さな村に生まれた。ドジソン家の大半は代々聖職者か軍仕官という、当時の上層中産階級の代表的職業に従事しているが、ルイスの父親チャールズ・ドジソンもその例に漏れず、オックスフォード大学で数学と古典に親しんだ後、この地の教区で牧師を務めていた。 子沢山のドジソン一家において、キャロルは11人きょうだいの3番目の子供にあたり、またドジソン家の長男として生まれている。
当時のデアーズベリー、特に一家の暮らす牧師館のある辺りは陸の孤島とも呼べるほどの辺境の地で、父親がその高学歴には見合わない質素なキャリアを選んだため、大所帯のドジソン一家もまた、つましい暮らしを強いられた。彼らは自ら野菜を育てる半自給生活を営み、子供たちの着る服はドジソン夫人の手作り。一家のもとを訪れたある人はそれを見て、「カーテンの生地を利用したのか、子供たちは布の袋に入ってるみたいだった」と振り返っている。 だが、ここで多くのきょうだいと共に過ごす静かな生活は、終生キャロルが懐かしく思い出す幸せな日々だったようだ。勉強は父親から学ぶホーム・スクール方式で、子供たちは皆敬虔なクリスチャンとして育てられた。キャロルの数学に対する興味も、この時培われたといえる。1843年、父親のチャールズ・ドジソンはヨークシャー、クロフト(Croft)のセント・ピーターズ教会への栄転が決まるが、それまでルイスはこのデアーズベリーで、まわりは肉親ばかりといういわば「無菌状態」の世界に暮らした。
父親の栄転先であるクロフトはデアーズベリーより遥かに大きな教区で、一家の暮らしも次第に楽になっていく。11歳になっていたキャロルは、相変わらず父親の元で数学や古典の勉強に励みながらも、人形劇や芝居、手品、物語の朗読など、様々な遊びを考案しては、弟や妹たちを楽しませていたという。この頃の経験が、キャロルが成長してから幼い子供たちと友人になる上で大いに役に立ったのではないだろうか。

 

 

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