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2011年6月30日 No.683

●Great Britons●取材・執筆/本誌編集部

全英オープンを中止に追い込んだ男
トム・モリス・ジュニア
Tom Morris Jr (1851年4月20日 ~1875年12月25日)


1870年、3年連続で全英オープンを制し、
チャレンジベルトを永遠に我がものとした時のトミー・モリス

1860年秋、第1回となるゴルフの全英オープンが、
スコットランドのプレストウィックにて開催された。
7月14日からロイヤル・セントジョージスで開催される今年の全英オープンは、
第140回目を数える。
開始以来、毎年行われているはずの全英オープンではあるが、
やむを得ない理由で過去12回、中止となった。
それは2度の世界大戦によるものだ。
しかしそれが原因で大会が中止されたのは全部で11回である。
実は全英オープンには、戦争とは全く異なる理由によって中止された、
もう1つの空白が存在する。
今号では、黎明期の全英オープンを中止に追い込んだ若者の、太く短い生涯を追う。

  

 全英オープン史を語る上で避けて通ることができない人物に、トミー・モリスという若者がいる。彼は1851年、スコットランドのセント・アンドリュースに生まれた。父親のトム・モリスは「近代ゴルフの父」と称され、セント・アンドリュースのプロ兼グリーンキーパーを務めた人で、近代ゴルフの体系化に大いに寄与した人である。また、自身も全英オープンを4度制するほどの腕前であり、晩年はミュアフィールドやロイヤル・ドーノック等、数々の名門コースを設計した人としても知られる。
 トミーにはわずか4歳で早逝した兄がいた。その兄もまたトム・モリスといい、両親は彼をウィー・トム(小さなトム)と呼んで溺愛した。その時、弟となるトミーはまだ母親のお腹の中にいたが、ウィー・トムは弟とすれ違うようにしてこの世を去ってしまう。長男を失った悲しみと新しい命を授かった喜びのはざまで、両親は新しい命に再びトムという名を与えた。両親や周りの人々は、新しく生まれたトムを、父親や兄と区別するためトミーと呼んだ(父親と明確に区別するためトミーを、トム・モリス・ジュニア、またはヤングトムと表現する資料も多いが、本文内では父トム・モリスが呼んでいたように「トミー」で統一する)。
 トムは生粋のセント・アンドリュースの人で14歳の時に、プロゴルファー第1号と言われるボール作りの巨匠、アラン・ロバートソンの元に奉公に入った。
 ロバートソン家が代々、独占的に作り続けていたのはフェザーボールという代物で、これは丸く削ったつげの木製のボールに取って代わって17世紀初頭に登場したと言われている。フェザーボールとは、ひょうたん型に切った牛皮に帽子にいっぱい入るほどの羽毛を濡らしてギュウギュウに詰め、牛皮を縫い合わせて乾燥させたものだ。ボールの大きさは現在のものとあまり変わらず、上級者が渾身の力でひっぱたけば200ヤードも飛んだと言われる。
 ただ、原材料が高価な上、製造するのに大変な手間がかかり、熟練の職人でも1日3個程度しか作れず、名人でも4個がやっとだったという。そのため、ボール自体は大変に高価となり、フェザーボール1個が当時の手作りクラブ1本の代金に相当したというから、庶民にはなかなか手の届かない高級品であった。
 ロバートソンは、当代きってのボール職人であったのみならず、ゴルファーとしても腕前は超一級で、今も多数残るマッチプレーの試合記録を見ても遂に1度たりとも敗北したという結果が見当たらない。そのため「不敗の名手」とも呼ばれている。ロバートソンはキャディとしても働くかたわら、クラブの会員に依頼されては謝礼を受け取って彼らにゴルフの指南をし始めた最初の人物と言われ、また、懸賞金のかかったマッチプレーにも多数参加していた。そのため、ゴルフ史研究家たちは、彼をもってプロゴルファー第1号としている。
 「プロゴルファー第1号」と、その弟子であり、後に「近代ゴルフの父」と呼ばれることになるこの2人に、ある日修復不可能な深い傷が刻まれることとなる。

 

 

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