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2013年9月19日

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

ローマ帝国最北ライン
ハドリアヌスの長壁を征く


© Antwerpen Toerisme & Congres

 

今からおよそ1900年も昔のこと。
グレート・ブリテン島の約3分の2は、
ローマ帝国の属州だった。
しかし、北方に住む部族は
目障りな敵となり続けたという。
ならば、南に攻め入らせねば良い――
ハドリアヌス帝の命により築かれた
長い長い防御壁の一部が現在も残る。
今号では、そのハドリアヌスの長壁について
お届けすることにしよう。

天使の城に眠る皇帝

 ゆったりとSの字をえがきながら、ローマの街を二分するように流れるテヴェレ河。その東側には、ローマ帝国の原点といえるパラティーノの丘など7つの丘が点在し、西側では、カトリック教会の総本山であるヴァチカン市国が威容を誇る。
ヴァチカン市国の核といえば、法王が座すサン・ピエトロ大聖堂だが、その目と鼻の先の場所に、星形(五角形)をした城がある。城とは名ばかりの無骨な外観を呈するこの建築物、実は美しい名を頂く。
「Castel Sant'Angelo」、すなわち「聖なる天使の城」という。
この「サンタンジェロ城」を築いた皇帝こそ、ハドリアヌスその人である。晩年は病に苦しむあまり、自殺を試みるほどだったハドリアヌスが135年、自らの廟(びょう)とするために着工。ただ完成したのは4年後で、あいにく、同帝の死には間に合わなかった。
享年62。暗殺、自害、戦場での敗死などで若くして世を去った皇帝も少なくない中、60年余りを生き、自然死したという生涯は、幸運の部類に入るといっていいだろう。18世紀に『ローマ帝国衰亡史』を著した英国の歴史研究家ギボンが「人類が最も幸福だった時代」と記した、いわゆる「五賢帝」時代に3番手として登場した皇帝でもある。
それら「五賢帝」とは、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの5人。「五賢帝」といっても、ベスト5という意味ではないとされ、ローマ帝国始まって以来の平和な時代と評された1世紀から2世紀後半にかけて、世界史きっての巨大国家を治めた皇帝たちと位置づけられている。
攻めの姿勢を貫いた強気のトラヤヌスの時代に、ローマの版図は最大となる。それを引き継いだのがハドリアヌスである。おじのトラヤヌスに子供がなかったことから皇帝に抜擢されたのだった。
世界征服の野心に燃え、戦い続けたトラヤヌスのような人物のもとでは、大国の「国境」はあってなきがごとし。すぐに書き換えられてしまうからだ。しかし、拡張の時代もいつかは終わる。守りの時代に入ると、今度は国境を制定し、その国境線がおびやかされないよう、防御に腐心することになる。
堅実な性格だったハドリアヌスは、守りに徹する道を選択。精力的に領土内を視察して回り、維持するにあたって、あまりに高額な費用や多くの軍隊が必要である地域は統治をあきらめるなど、現実路線をとる。これにより、内部で強い抗議の声が起こり、一部の反対派を処刑せざるを得ない事態も起こったが、ハドリアヌスの考えが揺らぐことはなかったようだ。
視察旅行は長期にわたることも珍しくなく、大所帯を引き連れての大名行列ならぬ、『皇帝行列』は、ローマ本国の威信を示すのにも役立ったと推測できる。


トラヤヌスの拡大政策のもと、ローマの領土は史上最大に達した。 © Tataryn77

 

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