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2014年1月23日

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/佐々木 敦子、本誌編集部

 

ハムステッドの緑に映える白亜の館
ケンウッド・ハウスを征く

 

ロンドン中心部から少し離れたところに、これほど緑深き場所があるのかと
訪れる人を驚かせることも少なくない、ハムステッド・ヒース。
その一角に佇むのが白亜の館、ケンウッド・ハウスだ。
存続の危機を乗り越え、昨年には約1年半にわたる改装工事も完了。
装いも新たに我々の前に壮麗な姿を現した、
この館を訪れることにした。

【参考資料】
"Kenwood - The Iveagh Bequest" by English Heritage
"Robert Adam" by Richard Tames (Shire Publications)
"Georgians Revealed - Life, Style and the Making of Modern Britain" by the British Libraryほか

 

富と力の象徴としてのカントリー・ハウス

 英国のカントリー・ハウスの歴史は16世紀に始まったとされている。この点からすると、ケンウッド・ハウスは取り立てて古いものではない。その起源は18世紀半ばにすぎないからだ。
当時の英国でもっとも影響力の大きい判事の一人で、奴隷制を禁止するきっかけを作ったことでも知られる初代マンスフィールド伯爵、ウィリアム・マレー(William Murray, 1st Earl of Mansfield 1705~93)はロンドン近郊に新しい邸宅を探しており、ケンウッド・ハウスの『前身』、およびその周辺の土地を購入した。これが1754年のことだ。
その頃のロンドンでは、ファッショナブルな住宅エリアは南西部のリッチモンドやトゥイッケナム。これに対し、北部のハムステッド・ヒース周辺は法律関係者が好んで住んだエリアだったという。ケンウッド・ハウスはもともと「Cane Wood」と呼ばれ、レンガ作りの簡素な箱のような建物だったが、マンスフィールド伯はこの屋敷の改築を新古典主義の人気建築家で、同郷のスコットランド人ロバート・アダム(Robert Adam 1728~92)に依頼した。
アダムはこのシンプルな建物を自分の自由に作り替えられると知って大喜びし、1764年から79年にかけて、実に15年の月日を費やして、「ane Wood」を外装、内装ともに完全に造り変え、現在私たちが知るケンウッド・ハウスの基礎を作り上げたのだ。
カントリー・ハウスの定義として、建物が壮麗であるだけではなく、広大な敷地内に建てられていることも欠かせない。建築史家のマーク・ジルアード(Mark Girouard)はカントリー・ハウスとは「権力の家」(power house) であり、持主の勢威を地元および他の貴族たちに見せつけるために存在したのだと論じている。また、カントリー・ハウスは議員選挙の相談など、上流階級の会合の場としても使用された。
それに加え、マンスフィールド伯もその例に漏れない訳だが、 所有者には総督や治安判事など、国家の要職に就いている者も多く、19世紀までカントリー・ハウス内で地方裁判が行われていたケースもあるという。
こうしたことから見ても、マンスフィールド伯がロバート・アダムに依頼したのは、贅を尽くした当時の最先端のデザインであろうことは想像に難くない。貴族が代々の土地を相続するのとは違い、初代マンスフィールド伯は法律家として一代を成し、この物件を購入した人物である。皆に自分が得た権力の大きさを誇示するだけではなく、初代の務めとして、後代に誇れる館にしようと意気込んでいたであろうと想像できる。 
こうして、その歴史と歴代の住人を振り返れば、ケンウッド・ハウスが「レンブラントなどの名画も飾られている、かつては貴族が所有した美しい館」だけではないことが分かってくるはず。今回は、あらかじめ知っているとケンウッド・ハウス訪問がより充実するであろうポイントを、見どころとともに紹介していこう。

 

 

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