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2014年5月15日

●征くシリーズ●取材・執筆/本誌編集部

スコットランドvsイングランド
スコットランド軍の劇的勝利から700年
古戦場バノックバーンを征く

 

スコットランドとイングランド。
「連合王国」を形成し、
体面上は協力し合う隣国同士だが永遠の宿敵でもある。
いや、イングランドに虐げられる時代の長かった
スコットランドから見れば憎き仇(かたき)と呼ぶべきかもしれない。
9月には、スコットランド独立の是非を問う国民投票も予定される、
この2014年からさかのぼること700年。
スターリング郊外でスコットランド軍がイングランド軍に対して鮮やかな勝利をおさめた。
今号では、その戦いの地、バノックバーンを征くことにしたい 。

 

勝利を呼び込んだ一撃

 「落ち着け、相手の動きをよく見るのだ」
1314年6月23日。スターリング近郊のバノックバーンで、スコットランド王ロバート1世ことロバート・ザ・ブルース(Robert the Bruce)は自分にそう言い聞かせていた。
目の前には、イングランド軍の騎兵隊に属するひとりの騎士が立ちはだかっている。スコットランド軍を率いるロバートは、この時、愛馬にまたがり、みずから前線を視察しているところだった。
相手は完全装備。ひと目で、かなり位の高い人物であることが分かった。騎士の名はヘンリー・ドゥ・ブーン(Henry de Bohun)、ヘレフォード伯爵の甥である。
視察中のロバートの頭部を守る甲冑に、シンプルながらも王冠をかたどった装飾が施されているのを目ざとく見つけたブーンは、功を急ぐ若者らしく、ロバートに一騎打ちを挑んできたのだった。かたや、この自信に満ちた騎士と対峙するロバートは、敵方がここまで踏み込んでくるとは思っていなかったのか『軽装』で、携えていた武器は戦闘斧のみ。
斧を握る右手が、じっとりと汗ばんでくるのをロバートは感じた。
しかし、これしきのことでひるんでいては、イングランド軍を破ることなどできるはずがない。意識を集中して息を整えようとするロバートに向かって、まもなく、騎士が仕掛けてくるのが見えた。馬のスピードは見る見るうちにあがり、ふたりの距離はまたたく間に縮まった。次の瞬間、冷静に間合いを計っていたロバートは急に向きを変えた。その右手が鋭く空を切ったかと思うと、斧は騎士の脳天に突き刺さっていた。まさに必殺の一撃だった。
後に、「バノックバーンの戦い」と呼ばれる、スコットランド軍対イングランド軍の戦いの初日に起こったこのアクシデントは、スコットランド軍兵士の士気を大いに高めた。翌日の24日、同軍は圧倒的な勝利を収め、この700年で、イングランド軍をここまでたたきのめした戦いは他に記録されていない。
歴史上の出来事に「もし」を唱えるのは意味のないこととよく言われるが、この一騎打ちで、もしロバートが負傷したり、ましてや落命したりしていたら、バノックバーンは、スコットランド人にとって特別な地とはなっていなかったかもしれない。
逆に、ロバートの一撃が若き騎士の息の根を止めた時に、バノックバーンでの勝敗は決まったとさえ言えそうだ。この時のロバートは、天が味方していることを証明してみせたのである。スコットランド軍は勝つべくして勝ったと思わずにはいられない。
しかし、同地での勝利までの道は長く険しいものだった。まずは、この戦いに至るまでの経緯を見てみることにしたい。

 

統一を遅らせた権力闘争

 バノックバーンが戦場となる8年前に即位し、ロバート1世(Robert I在位1306~29年)を名乗ることになったロバート・ザ・ブルースは、1274年7月11日に誕生、スコットランド西部エアシャーのターンベリー城で育った。
父親は後に第6代アナンデール卿となるロバート・ドゥ・ブルース(Robert de Brus)。この苗字から推測できるかもしれないが、ブルース家はもともと、ノルマンディ公ウィリアムによるイングランド征服が行われた際、フランスのノルマンディ地方からともに英本土へと渡ってきた貴族のひとつ。このブルース一族をはじめ、11世紀以降、スコットランドに領地を与えられた貴族たちは、スコットランド王の座をめぐり激しい争いを繰り広げることになる。この権力闘争があまりに熾烈だったため、スコットランドとして一丸になるのが難しく、イングランドにつけいる隙を多分に与えたのだった。
ロバート・ザ・ブルースの母は、キャリック伯の領地と称号を相続していた女性当主、マージョリー。ロバートの父親に自分から求婚、それが受け入れられるまでロバートの父親を閉じ込めたという逸話が残されているほど、気の強い女性だった。また、ロバートの祖父も、政治的野心の旺盛な人物だったと伝えられており、ロバート・ザ・ブルースがやがて幾多のライバルを退けてスコットランド王となり、イングランドを撃破するようになったのは父方の遺伝子に、母方の強い性格が加わったおかげなのかもしれない。
長男として産声をあげたロバートが、祖父、父からスコットランド王即位への夢を託され、リーダーとなるための教育を施されたであろうことは想像に難くない。1292年、母親の逝去にともない、ロバートは18歳でキャリック伯爵家を継ぎ、第2代キャリック伯となる。
これにさきだち、スコットランドは混乱という名の黒い大波にのみこまれていた。『聖人』の異名をとったデヴィッド1世(在位1124~53)の流れをくむ、アサル王家が1290年に断絶したことが発端だったが、この断絶騒ぎも不運の連続の末に訪れた結果だったのだ。アサル王家の最後の王となった、アレグザンダー3世(在位1249~86年)は、嵐の中、若き2番目の妻、ヨランドのもとへと旅路を急いだばかりに馬から振り落とされ、落命。臨終に際し、子供はすべて他界していたため、唯一の直系であった孫娘、ノルウェー王女マルグレーテに王位を譲ると遺言した。
わずか3歳で、スコットランド初の女王、マーガレットとして即位したまでは良かったが、1289年、ノルウェーからスコットランドへと向かって出帆した船は大しけにあい、オークニー島にたどりついたところでマーガレットはこときれてしまう。7年という短い生涯であった。

 

 

 

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