logo
 
【征くシリーズ】Holiday

2016年8月18日 No.946

プリントする 他のホリデーを読む
【生誕200年】シャーロット・ブロンテの故郷 ハワースを征く

【生誕200年】

シャーロット・ブロンテの故郷 ハワースを征く

『嵐が丘』『ジェーン・エア』などの名作を残したブロンテ姉妹の故郷、ハワース。イングランド北部ヨークシャーのリーズ近郊にあるこの地は、急な坂が多い小さな村で、まわりには果てしないムーア(荒野)が広がっている。今年は姉妹のひとり、シャーロット・ブロンテの生誕200年。今号では小説の舞台となり、一家が今も眠るハワースをご紹介しよう。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

時をさかのぼること、約170年前の1847年。
ロンドンの社交界は、出版されたばかりの小説『ジェーン・エア』の話題で持ちきりだった。カラー・ベルという無名作家の小説にもかかわらず、初版本は瞬く間に完売。3度目となる増刷も決まっていた。
『ジェーン・エア』は、家庭教師として貴族の屋敷に住み込むことになった孤児のジェーンが、様々な苦難を乗り越え、雇い主のロチェスターとの身分や障害を越えた愛を貫くという、いわば「玉の輿」的なシンデレラ・ストーリー。火事で妻と屋敷、さらに自身の片腕と視力も失ってしまった主人に対し、年齢や身分、財産、健康的とは言えない身体さえも、愛の前には何ら障害とならないと、強固な意志と溢れる情熱をぶつけるようにして語りかける若い女性の姿は、当時のヴィクトリア朝社会における「淑女」の常識を覆すものであった。しかし、ヴィクトリア女王のもと繁栄の一途をたどっていた時代の流れが味方し、自ら人生を選び取る「新しい女性」像は、社交界に大きな歓迎を持って迎えられたのである。
『ジェーン・エア』ブームが巻き起こる中で、今度は別の出版社がエリス・ベルの小説『嵐が丘』、アクトン・ベルの小説『アグネス・グレイ』を相次いで刊行した。とくに、荒野が広がる人里離れた地を舞台に、拾われたジプシーの子どもで下働きをするヒースクリフと、その家の令嬢キャサリンの悲恋と愛憎、さらにはヒースクリフの「下克上」とも言える復讐劇が繰り広げられる『嵐が丘』の過激な物語は、人々を驚愕させた。
カラー・ベル、エリス・ベル、アクトン・ベル…。同じ姓を持ち、同時期に小説を発表したこの3人は何者なのか? そもそも男性と女性のどちらなのか?――3人とも女性の心情をよく理解している様子ではあるものの、社会の規範に反抗するような挑戦的な内容を女性が書けるはずがない…。結局、1人の男性が3つのペンネームを使い分けているのだろうというのが、大多数の意見だった。
果たして、この3人の作家はどのような素性を持つ人物だったのだろうか? ハワースを語る際に欠くことのできない3姉妹、その中でも「母親」的存在であったシャーロット・ブロンテを中心に話していこう。

死の影が色濃く漂う、暗い村


現在は博物館となっている牧師館(写真上)。牧師館からは墓地越しに教会が見える(同下)。中央の石板によると、昔ここに門があり、ブロンテ一家はこの門を通って教会へ向かっていたという。
19世紀前半から半ばにかけてのハワースは、毛織物業を主とする工業地区で、村民の多くが織物業を営んだり、村のはずれにある織物の製造工場で働いたりしていた。荒野に囲まれた土地柄からも推測できるように、ハワース一帯の土壌は痩せ、作物が十分に育たなかったため、子どもたちは4~5歳から織物仕事を覚えて生計を立てる手伝いをしていたという。また、村の下水処理設備も整っておらず、ほとんどの家にはトイレがなかった。生活用水と一緒に汚水や汚物を路上に廃棄し続けたせいで、人口の増加にともなって衛生状態はみるみるうちに悪化。コレラ、チフス、結核といった病気が村中に蔓延した。水質汚染も年々深刻化し、残された記録をみると、1850年代には村の子どもの41%が6歳前に死亡、平均寿命も25~26歳という悲惨な状況だったことがうかがえる。ちょっとした風邪が原因で肺炎や喘息を患い、あっけなく世を去ることは、ハワースでは珍しくなかった。
シャーロットは1816年、ハワースの南東にある村ソーントンで生まれた。父親は村の牧師だったが、16歳でケンブリッジ大学に入学するなど優秀な頭脳の持ち主で、とくに文学に強い関心を寄せていたという。学生時代には自作の詩や散文を発表しており、子どもたちの文学的才能は父親譲りと言っていいのかもしれない。
ブロンテ家の第3女として生を受けたシャーロットに続き、翌1817年に長男のブランウェル、1818年にエミリー、1820年にアンと計6人の子どもが誕生したころ、父親の異動が決まり、一家はハワースの牧師館へ移り住んだ。ところが、母親はガンを患って翌年に死去。また、不衛生で閉鎖的な女子寄宿学校で生活していた長女と次女も、結核により11歳と10歳という幼さで亡くなってしまう。父親は同じ寄宿学校に通っていたシャーロットとエミリーを連れ戻し、自宅で自ら教育を行うことにした。とくに本は惜しみなく与えたといい、死と隣り合わせの過酷な暮らしの中で、彼女たちは文学の世界に魅了されていった。父親は自分が書斎で仕事をしている間、子どもたちに部屋から出ず、大人しくしているよう厳命していたと伝えられている。静まり返る家の中で、いつしか詩や物語を創作して自由な空想世界に羽ばたくことを楽しむようになったのも、必然と言えるだろう。

ブロンテ家の大黒柱

生き残った4人の子どもの中で最年長だったシャーロットは、常に自分を厳しく律しながらも、強い向学心を持った少女に育った。14歳になると、渋る父親を説得してハワースから30キロほど離れた町、デューズベリーの寄宿学校に入学。次席という優秀な成績で卒業し、19歳で同校に教師として着任した。シャーロットは教壇に立ちながら、やがて本格的な創作活動も開始。教師生活3年間で60篇の詩と6作の簡易小説を書き上げている。
一方、2歳下のエミリーは内向的で慎重、かつ頑固な性格だった。シャーロットが教師になって経済的なゆとりが生まれたため、父の勧めで姉が勤める寄宿学校へ入学する。しかし学校に馴染めず、ホームシックから体調を崩し、わずか数ヵ月でハワースへ帰郷。家を離れることを嫌がったエミリーの代わりに、末妹のアンが入学することになり、のちにアンも優れた成績で同校を卒業している。
田舎にある小さな村の牧師の収入はわずかで、今や一家の大黒柱はシャーロットと言っても過言ではなかった。彼女はより稼ぎのよい勤め先を求め、住み込みの家庭教師に職を変えてヨークシャー各地の裕福な屋敷を転々としたという。また、エミリーもハワース近郊の学校で教職を得るものの、過剰労働によるストレスで再び健康を損ねてしまい、以降はハワースで父親の世話と家事に従事する。エミリーが牧師館を取り仕切りはじめると、入れ替わるようにアンも家庭教師となってハワースを離れていった。
そんな生活が数年続いた1842年、家庭教師の職に嫌気が差したシャーロットは、ハワースの牧師館で学校を開くことを計画する。フランス語とドイツ語を極めるため、彼女は父親を伯母(亡き母親の姉)に任せ、エミリーとともにブリュッセルへと旅立った。高額な費用は通常なら支払えるものではなかったが、留学先の学校でシャーロットが英語、エミリーが音楽を教えることにより、授業料を「無料」にしてもらえるよう交渉した末の決断だったようである。
だが、夢は儚くも崩れ去る。渡航して間もなく、伯母の急死の報が届いたのだ。2人は急いでハワースに戻ったが、内気なエミリーにとって海外の都市生活は荷が重かったのか、数ヵ月後に再びブリュッセルの地を踏んだのはシャーロットだけだった。帰国後に学校開校の準備に入ったものの生徒が集まらず、結局断念している。

BBC1スペシャル・ドラマ

「ブロンテ姉妹」ロケ現場に遭遇

シャーロット・ブロンテの生誕200年を記念し、BBC1がブロンテ姉妹のスペシャル・ドラマを制作中。ブロンテ・ミュージアム(牧師館)で情報を得た我々取材班は、ロケのセットが組まれているというペニストーン・ヒル(Penistone Hill)へ車を走らせた。
写真中央の建物は、再現中の牧師館。このほか、教会、日曜学校、墓地までつくられていた。次から次へと噂を聞きつけた見物客が車でやってきて、みんな興味津々の様子。放映はクリスマスを予定。シャーロット役はフィン・アトキンス、エミリー役はクロエ・ピリー、アン役はシャーリー・マーフィー。

作家の誕生と相次ぐ死

ブロンテ姉妹の父親、パトリック。
ブリュッセルに戻らなかったエミリーは、静かな家で父親と過ごしながら詩を書き溜めていたが、それを家族に公表することはなかった。鍵のかかった机の引き出しに厳重に隠し、荒野を散策しながらそっとひとりでそれらを読み返していたという。
ところがある日、エミリーがうっかりダイニング・テーブルに置き忘れた詩篇をシャーロットが発見。それを読んだシャーロットの頭に、ひとつの案が浮かぶ。私とアンが書いた詩もあわせて、一冊の本にまとめてみたらどうだろう? シャーロットはエミリーとアンを説得し、1846年に3姉妹による共同詩集を自費出版した。当時は、女性が働くことが恥とされた時代。世間の偏見から逃れるため女性であることを伏せ、作家名は本来の氏名のイニシャルを用いて、カラー・ベル(Charlotte Brontë=Currer Bell)、エリス・ベル(Emily Brontë=Ellis Bell)、アクトン・ベル(Anne Brontë=Acton Bell)と変えて刊行した。売れたのはたった2冊だったが、姉妹は作家としての大きな第一歩を踏み出したのである。

弟のブランウェル(左)と、彼による姉妹の肖像画(右からシャーロット、エミリー、アン)。中央に描いた自分を消している。
3人はこれを機に、各々の自信作を出版社に送りはじめた。そして翌1847年、2人の姉を亡くした寄宿学校での過酷な生活や家庭教師の体験などをもとに、シャーロットが執筆した小説『ジェーン・エア』が、新進の若手社長の目に留まったのである。冒頭でも述べた通り、『ジェーン・エア』はロンドンで大ヒット。その反響を受け、エミリーの『嵐が丘』とアンによる『アグネス・グレイ』の出版も決定した。一躍、ベストセラー作家の仲間入りを果たした3人だったが、残念ながら幸運は長く続かない。ハワースをとりまく死の脅威がすぐ背後に迫っていたのだ。
シャーロットの1歳下の弟ブランウェルは、ブロンテ家の「問題児」だった。学校へ進学したことはなく、地元誌に詩を寄稿しながら画家を目指すなど、「夢見る青年」だったと言っていいだろう。アンが住み込みの家庭教師をしている屋敷で、子どもたちの教師として働いたこともあったが、なんと屋敷の奥方と不倫関係に陥り解雇されている。やがて酒とアヘンに溺れるようになったブランウェルは、1848年9月に死去。その葬儀中に引いた風邪がもとで結核にかかったエミリーも、12月に世を去った。さらに翌年にはアンまで結核を患い、少しでも気候のよい海辺の地へと送り出した療養先で亡くなっている。エミリーは享年30、アンは享年29とハワースでは比較的長生きしたとはいえ、ひとり残されたシャーロットの悲しみと喪失感は察するに余りあるだろう。

シャーロットを看取った医師の家

アッシュマウント カントリーハウス・ホテル

村の中心から徒歩7分。ハワースの医師、イングラム氏が住んでいた屋敷をホテルに改装したのが、このアッシュマウント・カントリーハウスだ。イングラム氏は、シャーロットと父親を牧師館で看取った医師でもあり、彼が書いた2人の死亡診断者が、ホテルのブレックファースト・ルームに飾られている。
 ドローイング・ルームでいただくディナーも満足のお味(2コース£27.50、3コース£35.00)。ハワースで宿泊する際には、ぜひご利用を。

Ashmount Country House
Mytholmes Lane, Haworth, West Yorkshire BD22 8EZ
Tel : 01535 645 726
www.ashmounthaworth.co.uk

スズランのような花嫁

シャーロットの夫、アーサー・ニコルズ。
一方、ロンドンでは謎の3作家について、引き続き話題となっていた。シャーロットは出版社からロンドンに転居し、素性を明かしたうえで作家活動に邁進するよう勧められた。ハワースの狭く暗い世界を抜け出し、お金の心配をすることなく小説を書く…。その魅力的な申し出に、おそらく彼女は迷ったのではないだろうか。だが、老いた父親を残して行くことはできなかった。シャーロットは正体を明かし、ロンドンの出版社や社交界に顔を出して名士たちと交流を深めながらも、2週間以上ハワースを離れることはなかったとされる。
そんなシャーロットを、影で見守り続けている男性がいた。数年前から牧師館に居候していた、副牧師のアーサー・ニコルズである。1852年、アーサーはシャーロットに求婚。しかし、思いがけない告白に驚いたシャーロットはプロポーズを断り、また収入の少ないアーサーに唯一の娘を任せられないと思った父親も結婚に反対し、牧師館を去るよう告げた。アーサーは牧師館を出て行ったものの、これをきっかけに2人は秘密裏に会うようなり、1854年6月に結婚。シャーロットは38歳、アーサーは35歳だった。「スズランのように」清純、可憐で初々しい花嫁姿のシャーロットを見た父親は、本来ならその手をとって自宅から教会まで連れて行くべきであったにもかかわらず、娘を手放す寂しさからそれを拒否。結局、彼女はひとりで教会へ向かっている。小説の主人公ジェーンのように、シャーロットは度重なる苦難の末、ようやく穏やかで幸せな生活を掴んだのであった。
ところが1855年3月、シャーロットはお腹に宿した子どもとともに、牧師館で静かに息を引き取る。死因は妊娠中毒症とされており、結婚生活は1年に満たない短さで幕を閉じた。妻と6人の子ども全員の死を見届けた父親は、その6年後、84歳で長き生を終える。シャーロットの死後も牧師館で仕事を手伝っていたアーサーが、義父を看取ったという。

今も変わらぬ村を歩いて

勾配のきつい、ハワースのメイン・ストリート。遠くには果てしなく広がる荒野が見える。
さて、ここまでシャーロットを主軸にブロンテ姉妹の生涯を簡単に振り返ったが、彼女たちが描き出した物語の世界をより深く知りたいなら、ぜひハワースを訪れていただきたい。
ハワースはブロンテ姉妹のおかげで世界中から観光客が訪れるようになったものの、それでも何十年も変わらずにゆっくりと時を刻み続ける村だ。小さな生活空間と大きな自然が共存する面白さは、文学好きでなくとも魅了されるだろう。
ハワースは、ロンドンから車で約4時間の場所にある。隣町のキースリーからメインロードを進んでいくと、ハワース駅が見えてくる。この駅が開業したのは、シャーロットの死後から12年経った1867年のこと。彼女がロンドンまで出かける際には、キースリー駅まで4マイル(約6・5キロ)もの距離を歩いたという。時間によっては、現在も蒸気機関車が走っているので、時間にゆとりのある人は乗車してみよう。

オクセンホープ(Oxenhope)~キースリー(Keighley)間を走る蒸気機関車。往復チケットは大人£11。運行しない日もあるので、ウェブサイトを要確認(www.kwvr.co.uk)。
四方を荒野に囲まれ、他の町ともいわば隔離されてきたハワースには、小さな店やパブ、カフェ、レストランが集まるメイン・ストリートがあるのみ。ここは当時から村の人々の生活を支える店が軒を連ねてきた通りで、弟のブランウェルが通い詰めたというパブ「Black Bull」、アヘンを買いに行った薬局「Rose & Co. Apothecary」などがいまだに残っている。村の中心にあたるメイン・ストリートを登り切ったところには、インフォメーション・センターのほか、ブロンテ一家が眠るパリッシュ教会、姉妹がかつて教鞭をとった日曜学校、一家が住んでいた牧師館(現在は「ブロンテ・ミュージアム」となっている)が集まっているので、一気に見て回ることが可能だ。
村の中心までは徒歩15分ほどで到達するが、道のりはかなり急勾配の上り坂。ブロンテ一家が平均より長く生きられたのは、村の高台で暮らしていたため、汚水被害をさほど受けなかったのではないか…。村を歩いていると、そんな当時の暮らしが目に浮かんできて興味深い。

荒野で強風に吹かれて

ブロンテ姉妹の橋(奥)のオリジナルは、1989年に川が増水した際、流されてしまった。ほかに、ブロンテの滝と椅子(岩)もある。
ハワースを訪れたら、荒野のハイキングにも挑戦してみてほしい。
牧師館が建つ一角は、ハワースの最端でもある。ここから一歩外へ出れば、荒涼とした丘と一本道がひたすら続く。よどんだ空気と悪臭の漂う村を抜け出したブロンテ姉妹が、父親の目を逃れて自由に遊んだ「特別な場所」。そして何より、何度も映画・舞台化され、ハワースの代名詞ともなっている『嵐が丘』の舞台だ。
内向的で家族以外の人間を苦手とし、友人を一切持たなかったというエミリーは、姉妹の中で誰よりも自然を愛し、多くの時間を荒野で過ごした。風が音を立てて吹き荒れる様子を表すハワース地方の言葉「wuther」を用いたタイトル『Wuthering Heights(嵐が丘)』からもわかるように、常に強風が吹きすさぶ。耳元で大きく鳴り響くその風音は、生命力の強いものしか生き残れない荒れた自然風景とあいまって、人間の激しい怒りや鬱屈した思い、秘めた熱情を叫んでいるようにも感じられてならない。
ハイキング・コースは3種類、①姉妹が遊んだ滝や橋を探索するルート、② ①をさらに進み、『嵐が丘』に登場する廃墟「トップ・ウィジンズ」まで歩くルート、③『嵐が丘』の中でスラッシュクロス邸(キャサリンが嫁いだ邸宅)のモデルとなった「ポンデン・ホール」や、ペニストン・クラッグという断崖のモデル「ポンデン・カーク」を巡るルートがある(下の地図参照)。おすすめは②で、初心者は隣村のスタンベリーまで車かバスで行き、まずトップ・ウィジンズ、それからブロンテの滝・ブロンテの橋と歩くのがいいだろう。ハワースから歩けば約4時間、スタンベリーからだと約3時間だ。
英国史に残る名作を生み出したブロンテ姉妹が育ち、一家が今も眠るハワース。シャーロットの生誕200年という節目を迎えた今年、彼女たちの小説の原点である同村に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

Travel Information

※2016年8月16日現在

ハワースの地図

【ロンドンからのアクセス】(電車の場合)

ロンドンのキングズ・クロス駅からリーズ駅まで、電車で約3時間。その後、スキプトン(Skipton)経由のモーカム(Morecambe)かランカスター、またはカーライル(Carlisle)行きに乗り換える。約30分でキースリー駅に到着。ここからはバスか蒸気機関車で、ハワース(Haworth)駅まで約15分。

【ロンドンからのアクセス】(車の場合)

ハワースには、車で行く方が断然ラク。ロンドンからM1を通って、リーズ手前でM62に入る。ジャンクション24からA629に進み、ハリファックスを通り抜けてキースリー方面へ。キースリー手前でA6033にぶつかったら、ハワースに到着。到着直前までハワースの看板が出ていないので、ハリファックス、キースリーを目指して車を走らせればOK。(おすすめポストコード:BD22 8EF)

ハワースの地図

ブロンテ姉妹が愛した
荒野(ハワース・ムーア)の歩き方

各コースとも距離が長いのはもちろんのこと、天候の悪い日が続くと、道がぬかるんでいたり、滑りやすかったりするので、履きなれた歩きやすい運動靴などで臨もう。
一本道なので、分かれ道や要所に立つ標識=写真=を確認しながら歩けば迷子になることはない。ただ、ときどき数人とすれ違う程度であまりひと気がなく、外灯もないので、夕方からのハイキングや女性一人での散策は避けよう。
Special thanks to : Welcome to Yorkshire www.yorkshire.com

ハワースの地図

 

2017年 03月 23日

2017年 03月 17日

2017年 03月 22日

2017年 03月 01日