logo
 
【征くシリーズ】Holiday

2017年4月20日 No.980

プリントする 他のホリデーを読む
メアリー王女が愛した、リーズ近郊の邸宅 ヘアウッド・ハウスを征く

メアリー王女が愛した、リーズ近郊の邸宅

ヘアウッド・ハウスを征く

北イングランドの都市、リーズから北へ20分ほど車を走らせると、ヘアウッド伯爵邸にたどり着く。緑豊かな丘陵にたたずむこの邸宅は、バルコニーからの眺めの素晴らしさもさることながら、エリザベス女王の叔母メアリー王女が深く愛したことでも知られる。今号では、現在も王女の孫である伯爵一家が暮らす「ヘアウッド・ハウス」を征くことにしたい。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

初めて公開された王族の私邸

ロンドンから電車で約2時間半。北イングランドのヨークシャーにある都市リーズの近郊に、今回取材班が訪れたヘアウッド・ハウスがある。
ヘアウッド・ハウスの魅力のひとつは、バルコニーからの眺望だ。上の写真からもわかるように、おそらく誰もが眼前に広がる景観に息をのむことだろう。左右対称に整えられた、優美なヴィクトリア朝時代のテラス・ガーデン。そのテラスの先には、波打つようにうねる新緑の丘陵がどこまでも続く。雲ひとつない透き通るような青空の下、陽光が湖に降り注ぎ水面が輝いている。整然としたガーデンの「人工的な美」と英国のカントリーサイドらしい「自然の美」の対比と調和は秀逸で、一日中眺めていても飽きることはないだろうと思わせる。
さらに特筆すべきは、英王室との深い縁だろう。「王冠を賭けた恋」として一大センセーションを巻き起こしたエドワード8世、そして映画『英国王のスピーチ』などで改めて注目を浴びたジョージ6世兄弟の妹で、現・エリザベス女王の叔母にあたるメアリー王女が嫁いだのが、ヘアウッド・ハウスを所有するヘアウッド伯爵家である。この邸宅を心から愛したメアリー王女は、自らテラス・ガーデンの手入れをし、家族や愛犬たちとともに敷地内を散歩することを日課としていた。現在、ヘアウッド・ハウスは毎年春から秋にかけて一般公開されているが、王族が暮らす私邸が公開されたのは同邸宅が初めてであり、その前代未聞の決断を下したのも彼女である。
メアリー王女は、一体どのような女性だったのか――。
まずは、ヘアウッド・ハウス建造の物語から紹介していこう。

贅を尽くしたこだわりの邸宅

ヘアウッド・ハウスが完成したのは、18世紀後半の1771年で、貴族の邸宅としては比較的歴史が浅い。初代ヘアウッド男爵位を受爵したエドウィン・ラッセルズが、貴族に列せられたことを祝し、新居として建造したものである。
ラッセルズ家の先祖は、1066年にイングランドを征服したノルマンディー公(のちのウィリアム1世)とともに、フランスから渡ってきたノルマン人だ。地方議員や軍人を代々輩出してきた名家であるものの、貴族ではなく地主階級に属していた。ところが、エドウィンの父親が西インド諸島にあるバルバドス島を購入したのを機に、風向きが大きく変わる。同地での砂糖取引が成功して莫大な富を手に入れ、男爵位を授与されるまでに至ったのである。
爵位名の「ヘアウッド」(Harewood:ウサギのいる森)にちなみ、ヘアウッド・ハウスと名付けられた邸宅は、当然ながら贅を尽くした建物になった。当時、北イングランドで名を馳せていた建築家ジョン・カーに設計を依頼し、内装は新古典主義様式を打ち出していた若手建築家ロバート・アダムに一任。家具は人気の家具職人トーマス・チッペンデールによるもので統一した。
さらに「造園の魔術師」と呼ばれ、数々の屋敷の庭園を手がけていた造園家ケイパビリティ・ブラウンも呼び寄せている。記録によると、エドウィンは長年かけて新居の構想を練っていたとされ、要求が多く一切の妥協を許さないという、資金が豊潤なだけに「難しい顧客」だったようだ。とくにケイパビリティ・ブラウンは、付近を流れる小川をせき止めて12ヘクタールもの広さの湖をつくったり、緩やかにうねる丘陵を出現させようと大地に勾配をつけたり、バランスよく点在する木立を生み出すために数多くの樹木を植えたりと、エドウィンが満足する庭園の完成に9年の歳月をかけている。

テラス・ガーデンから眺めたヘアウッド・ハウス。外観は1840年代に改修されている。
このエドウィン自慢の邸宅は、1840年代に第3代ヘアウッド伯爵(1812年に伯爵位を受爵)によって、現在目にすることができるゴシック様式の建物に改装された。ただし内装の改修は一部のみで、できるだけ当初のままに残されたという。また、13人の子どもに恵まれた同伯爵夫妻は、子どもたちが安全に走り回って遊べるようにと、眺めのよい南側にテラス・ガーデンの増設を発案。これにより、18世紀につくられたケイパビリティ・ブラウンによる自然風景庭園と、19世紀のフォーマル・テラス・ガーデンが合体した見事な景観が誕生することになった。

王女からのクリスマス・プレゼント

テラス・ガーデンの階段脇に据えられた、
スフィンクスのような彫刻。
ヘアウッド・ハウスが再び大きな変化を迎えるのは、1930年のこと。ラッセルズ家の嫡男ヘンリーが第6代ヘアウッド伯爵を継ぎ、同邸宅に妻と移り住んでからである。このヘンリーの妻こそが、冒頭に登場したメアリー王女だ。
メアリー王女は1897年、のちのジョージ5世と王妃メアリー・オブ・テックの長女として、ノーフォークで生まれた。6人兄弟の第3子で、離婚歴のある米国人女性と恋に落ちた長兄(のちのエドワード8世)と、兄の突然の退位で王位に就くことになった次兄(のちのジョージ6世)のほか、3人の弟がいた。当時の君主は曾祖母のヴィクトリア女王で、即位60周年を記念する「ダイヤモンド・ジュビリー」の年に生まれたことから、女王は「My little Diamond Jubilee Baby」と呼んで自身が名付け親になるなど、誕生を喜んだという。
ノーフォークの自然の中でのびのびと過ごした幼少期は、唯一の女児であるメアリー王女を活発で好奇心に満ちた少女に育てた。身体を動かすことを好み、自転車や乗馬、アイススケート、釣りなど、兄弟たちと一緒に何でも挑戦した。とくに快活で社交的な長兄のエドワードとはウマが合ったようで、アイススケート・リンクで2人が衝突して派手に転倒している姿が写真に残されているが、その仲の良さには思わず笑みをこぼしてしまうだろう。
ところが、そうした幸せな日々は長く続かなかった。わずか在位9年で祖父が亡くなり、父親がジョージ5世として国王の座に就くと、環境は一変した。バッキンガム宮殿への転居を境に、両親は厳格な国王と英国一の才女と呼ばれる王妃に変わってしまったのだ。のちに、子どもたちに「監獄」と言わしめた宮殿での生活は温かみに欠け、常に監視され、メアリー王女も兄たちと同様の厳しい教育を施されるようになった。
こうした教育の成果か、メアリー王女は王族としての責任感がかなり強く、若い頃から積極的に公務に取り組んだ。

テラス・ガーデンに咲く花々(写真左)と、
ケイパビリティ・ブラウンがつくった湖から眺めたヘアウッド・ハウス(同右)。
1914年に第一次世界大戦が勃発したとき、彼女はまだ17歳を迎えたばかりであったが、英陸海軍兵士を労い、クリスマスに「クリスマス・プレゼント」を贈呈している。全兵士に贈られたこのプレゼントは、クリスマス・カードとチョコレートやたばこなどが入ったもので、兵士たちは思わぬ贈り物に士気が高まったに違いない。王女は終戦時にも同様にギフトボックスを配布しており、国民から多くの感謝の手紙が寄せられた。
また、医療支援金として3万1000ポンド(現在の約300万ポンド)を一週間で集めて寄付したり、負傷者が運ばれた病院を訪れ、看護婦として働いて数々の手術にも立ち会ったりもしている。
1922年、24歳になったメアリー王女は、15歳年上のヘンリー・ラッセルズと結婚。ウェストミンスター寺院で挙式した後、バッキンガム宮殿までを馬車でパレードした。王女はその途中、ホワイトホールの通りに建てられた第一次世界大戦の戦没者追悼記念碑の前で馬車を止めさせ、自身の花嫁ブーケを供えている。沿道に詰めかけた市民の大歓声は、馬車が走り去った後もやまなかったという。

夫の死と遺産相続税

写真上:ジョージ5世の子どもたち(1910年撮影)。
後列左から時計回りに
次男ジョージ、長女メアリー、長男エドワード、
4男ジョージ、3男ヘンリー、5男ジョン。
当時のメアリー王女は13歳。
兄弟の中でも身体が一番大きく、活発な少女だった
/同右下:ヘンリー・ラッセルズとメアリー王女の結婚式
(1922年撮影)
/同左下:29歳のメアリー王女(1926年撮影)。
2人はヨークシャーで新生活をスタート。翌年に長男、さらにその翌年には次男が誕生した。そして1930年、第6代ヘアウッド伯爵を継いだヘンリーとともに、一家はヘアウッド・ハウスに転居した。メアリー王女はバスルームやキッチンの設備を最新のものに一新させるなど、伯爵夫人として邸宅内を取り仕切ると同時に、王族の一員としても休みなく公務に勤しみ、英国中を飛びまわる生活を送った。
第二次世界大戦時も、英陸海軍の駐屯地を軍服を身にまとって慰問、またヘアウッド・ハウスを負傷者用の病院として開放している。終戦後の1947年には夫妻でトルコ旅行をして結婚25周年を祝ったが、そのすぐ後にヘンリーが肺炎で死去してしまう。ようやく穏やかな日々に戻った矢先のことだった。
しかし悲しみに沈む間もなく、夫の死により発生した多額の遺産相続税の支払いを工面するのに奔走。戦後だったこともあって思うように資金が調達できず、ヘアウッド・ハウスにある家具や絵画をオークションに出品し、土地を売っても、集まった金額は7割程度であった。メアリー王女は仕方なく、ヘアウッド・ハウスの一般公開に踏み切り、その入場料で不足額を補うことにした。王族の誇りを常に持ち続けてきた彼女にとって、プライベートを明かすことは苦渋の決断だったのではないだろうか。英国で初となる王族が暮らす私邸の公開は、連日メディアで報道され、多くの人々がつめかけた。

英国王室家系図(ジョージ5世~エリザベス2世)
子どもたちの回想によると、メアリー王女は妻、母親、国王の娘としての「3つの顔」を完璧に使い分ける女性だったという。1936年には、17世紀に創設された君主の長女に授与される栄誉称号「プリンセス・ロイヤル」を授けられている。この称号は、君主や議会に認められた王女しか授かることができず、現在までにプリンセス・ロイヤルの名を冠したのは7人のみ。今はエリザベス女王の長女、アン王女がそれを名乗っている。
晩年は家族とともにヘアウッド・ハウスで過ごす時間を大切にし、息子や孫、愛犬たちと敷地内をのんびり散歩するのを楽しんだ。そして1965年、ケイパビリティ・ブラウンがつくった湖沿いを散策中に、突然の心臓発作に見舞われ、息子の腕の中で息を引き取る。68歳の誕生日を迎える1ヵ月前の朝だった。

エリザベス女王の結婚式を欠席!
メアリー王女と王室の確執

メアリー王女は、国内外でエリザベス女王の名代を務めるなど、精力的に公務をこなしたものの、実は英王室メンバーとは少々距離があったと言われている。
その原因は、米国人女性と恋に落ち、1年に満たず退位して英国を離れた、3歳年上の長兄エドワード=写真。王室は「エドワードを王位から引きずり落とした女」のウォリス・シンプソン夫人を嫌悪し、2人の結婚式にも王族の出席を許さなかったが、メアリー王女は長兄と非常に仲が良かったことから、この「お触れ」に不満を持ち、のちに兄のもとを極秘で訪れている。また、姪のエリザベス女王(当時は王女)の結婚式にも長兄夫妻は招待されず、これに腹をたてたメアリー王女は体調不良を理由に、なんと自身も式典を欠席。「ヨークシャー・プリンセス」と呼ばれ、国民に人気のあるメアリー王女の抗議に懲りた王室は、その後行われたエリザベス女王の妹の結婚式や女王の戴冠式には、エドワードを招待した。しかしながら、彼が出席したのは父ジョージ5世の葬儀だけであった。
1965年3月、エドワード夫妻はエリザベス女王と英国内で公式に謁見し、ついに和解した。その場にはメアリー王女も付き添っており、長年の確執が解消されるのを見届けたという。念願が叶ってほっとしたのか、その10日後、彼女は世を去っている。

邸宅内に散りばめられた「遊び心」

「ザ・ギャラリー」(© Harewood House Trust)。
窓の上部に飾られた木彫のカーテンは必見

来客用の「ステート・ベッドルーム」
(© Paul Barker and Harewood House Trust)。
ヴィクトリア女王も滞在時にこのベッドで就寝した
ヘアウッド・ハウスには現在、メアリー王女の孫にあたる第8代ヘアウッド伯爵一家が暮らしている。当初から変わらず毎年春から秋にかけて一般公開されており、バルコニーから望む雄大な風景や王女が暮らした優雅な館を見ようと、年間約20万もの人々が足を運ぶ。
部屋のデザインにはいくつか遊び心も見受けられ、たとえば17世紀スペイン製の皮の壁紙で覆われた図書室「スパニッシュ・ライブラリー」には、フェイクの本棚がある。古い装丁の本や棚が本物のように描かれているだけなのだが、知らなければ気づかないほどに精巧だ。2ヵ所あるので、ぜひ訪れた際には探していただきたい。
また同じく見逃せないのが、メアリー王女の夫ヘンリーが収集した名画がずらりと並ぶ「ザ・ギャラリー」。窓を飾る赤い重厚なカーテンや黄金の飾り房は、なんと木彫。これはトーマス・チッペンデールの作品だが、ほかに類を見ないものである。遺産相続税を支払う際に大量の家具を売ったとはいえ、ヘアウッド・ハウスにあるチッペンデールの家具の数は英国一を誇り、インテリア好きには見ごたえがあるだろう。

「ミュージック・ルーム」
(© Paul Barker and Harewood House Trust)。
ロバート・アダムが家具にあわせてデザインした
カーペットは建造当初のまま。
そして、地下階に広がる使用人の居住スペースも興味深い。職種ごとの生活の差異や、上階からの呼び鈴がどのように彼らに伝わるかなど、貴族生活の「裏側」を知ることができる。
さらに、敷地内にはペンギンやフラミンゴ、フクロウなどが生息する「バード・ガーデン」、子供向けの遊具が集まる「アドベンチャー・グラウンド」のほか、ヤギやウサギ、アルパカなどと触れ合える「ファーム・エクスペリエンス」が昨年オープン。子供連れで訪れても楽しめる場所になった。夏季はボートも運行されるので、湖から小高い丘の上に建つヘアウッド・ハウスを眺めることも可能だ。
その生涯において、曾祖母のヴィクトリア女王、祖父のエドワード7世、父のジョージ5世、兄のエドワード8世とジョージ6世、そして姪のエリザベス女王という6人の君主の時代を生き、2つの世界大戦を経験したメアリー王女。その彼女が最後にたどり着き、愛した安寧の場所がヘアウッド・ハウスである。もしリーズを訪れる機会があれば、一度足を運んでみてはいかがだろうか。

Travel Information

※2017年4月18日現在

ヘアウッド・ハウス
Harewood House

ヘアウッド・ハウスへの地図 Harewood, Leeds, West Yorkshire LS17 9LG
Tel: 01132-181-010
http://harewood.org

アクセス

【車/電車+車】ロンドンからヘアウッド・ハウスまで車で約4時間(205マイル)。または、ロンドン・キングズクロス駅からリーズ駅まで電車で約2時間半。リーズからヘアウッド・ハウスまで車で約20分。
【コーチ+バス】ロンドン・ヴィクトリア・コーチ駅からリーズ駅までコーチで約4時間20分。ハロゲイト行きのローカルバス(36番)でヘアウッド・ハウスまで約30分(15分ごとに運行)。

オープン時間(2017年)

【10月29日まで】午前11時~午後3時30分

入場料

大人 16.50ポンド、子ども 8.50ポンド

Special thanks to:
Welcome to Yorkshire(http://yorkshire.com

 

週刊ジャーニー最新号 eBook

週刊ジャーニー最新号表紙

No.984 5月18日発行号

週刊ジャーニーをオンラインで読む
  • 英国時間の木曜17時更新
  • 紙版の定期購読はこちら

2017年 05月 18日

2017年 05月 19日

2017年 05月 17日

2017年 04月 27日