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2011年10月6日 No.697

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

王冠よりも愛を選んだ

エドワード8世

 

1920年代、「ヨーロッパ屈指のプレイボーイ」、
「世界で最も魅力的な男性」と謳われ、
国際的スターであったエドワード王太子。
彼が恋に堕ち、生涯の伴侶と見定めた相手には離婚歴があった。
この「禁じられた関係」の行方は―。
今号では、「王冠を賭けた恋」として、
英国王室、そして世界を揺るがせた
エドワード8世の退位劇とその想いに迫る。


参考文献:「King Edward VIII The Official Biography」Phillip Ziegler著

 

 

 来年、在位60年を迎えるエリザベス女王が、まだあどけない少女だった頃、英国王室を、そして世界を揺るがす大事件が起きた。そしてこの大事件は、この少女が女王として生きる道を決定づけた出来事でもあった。伯父のエドワード8世が退位し、代わって父、ヨーク公が国王ジョージ6世として即位することが決まったのだ。エドワード8世に子供はなく、ジョージ6世には彼女と妹のマーガレットという、2人の娘がいるだけであった
昨年公開された英国映画『英国王のスピーチKing's Speech』は、吃音症に悩むジョージ6世が言語療法士の助けを借りて障害を克服していく姿を、史実に基づいて映画化した作品である。数々の映画賞を総なめにしたので、記憶に新しいという読者も多いだろう。その中に、アメリカ人女性で離婚歴のあるウォリス・シンプソン(シンプソン夫人)との結婚を果たすため、エドワード8世が退位し、弟であるジョージ6世が不本意ながら即位せざるを得なくなった経緯も登場する。英国国教会の長でもある国王にとって、離婚歴のある女性との結婚はご法度(*)。1年にも満たない在位期間は、16世紀のジェーン・グレイ、15世紀のエドワード5世に次いで英国王室史上3番目に短く、17世紀のスチュアート朝以降に限ってみると最短で、この退位劇は俗に「王冠を賭けた(捨てた)恋」または「世紀の恋」などと呼ばれ、一大センセーションを巻き起こした
映画の中のエドワード8世は、弟の吃音をからかい、王位を投げ出して恋に走った無責任で意地悪い人物として描かれているが、実際にはどのような人物だったのか。なぜ王冠を捨てるまでに至ったのか、その人物像に迫ってみたい。

 

*英国国教会では離婚は認めているが、元配偶者の存命中に教会で再婚することは認められていない。クイーン・マザーの逝去後に見直しが行われ、若干緩和されたものの、再婚しようとする2人の関係が離婚の原因であった場合は、再婚は許されない。このため、チャールズ王太子とカミラ夫人も再婚したものの、教会では式を挙げておらず、同王太子が国王として即位し、英国国教会の長となるにふさわしいか問題は残されたままとなっている。

 

愛情に飢えた子供時代

 

 1894年6月23日、ヴィクトリア女王の治世において生を受けたエドワード8世(本名Edward Albert Christian George Andrew Patrick David Windsor 以下エドワード)は、王太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)の次男ジョージ王子(後のジョージ5世)とメアリー妃との間の長男、つまりヴィクトリア女王の曾孫にあたる。64年という英国王室史上最も長い統治期間を誇るヴィクトリア朝期にあって、王太子アルバート・エドワードは、エドワードの誕生時には52歳に達しており、国王になるまでにさらに7年も待たなければならなかった。これは、もうすぐ63歳になろうという現チャールズ王太子に次いで2番目に長い王太子歴である。
 それとは対照的に、10年にも満たない王太子時代を送ることになるジョージ5世(エドワード8世の父)は、次男であったため、もともとは国王の座を意識することなく穏やかな青年時代を過ごしていた。そこへ1892年に、兄のアルバートが28歳の若さで肺炎で没したために突如、王位継承権第1位となり、さらに父エドワード7世がすでに高齢に達していたため、国王の座が一挙に近づいてしまったのである。それにもかかわらず、王座に就いた彼は、国政を巧みにこなし、第一次世界大戦という難況をくぐり抜け、後に国民に広く愛される王となった。しかし、このジョージ5世、家庭では厳格すぎる嫌いがあり、怒鳴ったり、わめき散らしたりすることもしばしばで、息子のエドワードは「愛情もなく、評価も受けず、ひどい子ども時代だった」と振り返っている。しかも母親のメアリーは、ヴィクトリア女王が見込んだほどの才女で、完璧な国王のサポート役に徹するあまり、子供を父親からかばうような母性に欠けていた。さらに、教育係としてしつけを担っていた乳母からはつねられたり、腕をひねられたりといった虐待を受けていたとされ、愛情に飢えた子供だったようだ。
 とはいえ、左利きをむりやり矯正させられたばかりか、X脚を矯正するためギブスまで着用させられ、過度のストレスから吃音症に悩まされることになった弟に比べると、エドワードはずっと明るく快活な子供であった。社交性や好奇心に溢れ、長男らしいリーダーシップも持ち合わせていたと伝えられる。とくに同じ年頃の異性に対してはまったく物怖じせず、じゃれ合ったり、いちゃついたりする、ませたところがあり、プレイボーイぶりは既にこの頃から始まっていたといえよう。

 


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