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週刊ジャーニーをオンラインで読む 【特集】ごくウマ3選
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2013年10月3日 No.799

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

お風呂から税金まで
ローマ人が遺したもの

イングランドとスコットランドの国境よりやや南、
グレート・ブリテン島を横断するかのように築かれた
ハドリアヌスの長壁については9月19日号でお届けしたばかり。
今号では、ハドリアヌスの長壁をはじめとし、400年近くにわたり、
英国を支配したローマ人がグレート・ブリテン島に遺していったものを
振り返ってみることにしたい。

【参考文献】『ローマはなぜ滅んだか』(弓削達著、講談社現代新書)/
『Milestones』(Mervyn Benford著、Shire Library刊)/
『概説イギリス史』(青山吉信・今井宏編、有斐閣選書)

 

大帝国を脅かした先住民

 

 西暦122年。
その日、グレート・ブリテン島南東部の沖合いには異様な光景が広がっていた。おびただしい数のガレー船が、同島への上陸をめざして一路、突き進んでいたのである。現在のように船舶の往来が一般的ではない遠い昔のこと、ただならぬ喧騒は周辺一帯の空気を恐ろしいほどに打ち震わせていた。
このガレー船団の中に、ひときわ目を引く一隻があった。多くの従者にかしずかれて中央に座していたのは、時のローマ皇帝、ハドリアヌス。強気の姿勢を貫き、ローマの版図を最大とした先代の皇帝トラヤヌスには子供がなく、その甥であるハドリアヌスが皇帝に抜擢されたのは117年のこと。若さゆえの未熟さもなく、かといって、老いによる弊害も見られぬ、41歳という年齢での即位だった。

 



2世紀頃のローマ・ガレー船(モザイク画)
=バルドー博物館(チュニジア)蔵。 © Giorces

 

 堅実な性格だったとされるハドリアヌスは、トラヤヌスから引き継いだものをいかに維持するかに心を砕いた。こう記すと、「受身」であるような印象を与えがちだが、ハドリアヌスは気弱な君主ではなかった。守りの姿勢に対して、内部から強い抗議の声が起こった際、一部の反対派を処刑。必要であれば非情な強硬策も取るトップであることを示した。
このハドリアヌスが、領土内の視察巡回先として上陸したグレート・ブリテン島は、紀元43年にローマの属州ブリタニアとなっていた。4万からなるローマ軍を率いて侵攻し、先住のブリトン人の複数部族で構成された連合軍を撃破した皇帝、クラウディウスの功績による。
しかし、ハドリアヌスが上陸を果たした122年になっても、グレート・ブリテン島が完全にローマの統治下に入った訳ではなかった。三十余りともいわれたケルト系の部族は反目しあうばかりで、力をあわせてローマ軍にあたるというような賢明な行動は取らず、属州の地位に甘んじていたものの、まだ北方の一部の部族は抵抗を続けていた。
ハドリアヌスが、北方部族の南下を防ぐべく、構築を命じたのが、今日「ハドリアヌスの長壁」と呼ばれる塁壁であることは、9月19日号でご紹介した通りだ。現在のカーライル近郊からニューカッスル近郊まで、約120キロの長さにわたって築かれた長壁は、幅およそ2・5メートル、場所によっては高さ6メートルに達した。

 



トラヤヌス帝の時代に、ローマの領土は史上最大に達した。© Tataryn77

 

 主要な部分には、1ローマン・マイル(現在の約0・9マイル)ごとに要塞(milecastle)を築き、ローマ軍兵士、あるいは欧州内の他地域から連れてこられ、グレート・ブリテン島に定住した傭兵たちが駐屯した。
ハドリアヌスの長壁の取材中、まず浮かんだ言葉は「整然」。ローマ人の合理的、組織的な防衛システムに感心せずにはいられなかった。さすが、一時は米国の約4分の3にあたる規模の面積の領土を有した超大国だけのことはある。しかし、それと同時に、ローマ人が「蛮族」と呼んだ先住民、つまりケルト系の人々のことを思った。ローマ人にそこまで恐れられたケルト系部族とは、いったいどのような人々だったのか。

 




上の写真:ともに、
チェスターズ・ローマン・フォート博物館(ノーサンバランド)所蔵の品々。
ラテン語が刻まれた墓石などもある。

 

 

こんなにある!
ローマ人の
大いなる遺産A-Z

ローマ人が属州ブリタニアにもたらした技術や物品については枚挙にいとまがない。
ローマ固有のもの、あるいはローマ人が発明したものばかりではないが、例えば新しい征服先に進んだ技術があれば、自分たちにあうよう調整したり、 さらに進化させたりするなどして貪欲に吸収。 それを属州などの占領先に伝えた。
ローマの文化が広い地域に行き渡ることになったのは、世界制覇の野望のおかげといえるだろう。
ここでは、ローマ人が当時の属州ブリタニアにもたらしたものを中心に取り上げてみることにする。


※英国に遺跡が残っていない例もあり、その場合は国外の遺跡の写真を掲載しています。また、写真については一部イメージ画像も含みます。 ご了承ください。

Aqueduct 水道橋
都市の繁栄に水は欠かせない。 上水道と下水道を分けたことは、衛生面で大きな意味があった。 写真は、スペインのタホ川にかかる水道橋。

arcades アーケード
柱などで支えられた連続したアーチ

amphitheatre
円形劇場[闘技場]

ローマのシンボル的象徴、コロッセオ。

abacus そろばん

Bath 風呂
イングランド南西にある、その名も「Bath」という町を例にとるまでもなく、ローマ人の風呂好きは有名。ハドリアヌスの長壁沿いにある要塞にも、浴場跡がしばしば見られる。グレート・ブリテン島の寒冷な気候の中、風呂がローマ人に与えた安息の時間はきわめて貴重だったと想像できる。

bridges

benefits for the poor 福祉手当

bricks れんが

board games ボードゲーム

Calendar カレンダー
現在、用いられているグレゴリオ暦は、ユリウス暦を改暦したもの。地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた、太陽暦の一種であるこのユリウス暦を制定したのがガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)。紀元前45年1月1日から実施された。

census 国勢調査

cat ネコ

Diseases like Cholera,typhoid
コレラや腸チフスなどの伝染病

EEmperor皇帝
広く名の知れた皇帝の代表格といえる、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)。

 

 

 

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