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2014年1月9日 No.812

●サバイバー●取材・執筆/本誌編集部

 

英国か? ギリシャか?
大英博物館の至宝
エルギン・マーブルの苦悩

約800万点の資料を所蔵する大英博物館の数ある展示室の中で、
最多の閲覧者数を誇るといわれる「パルテノン・ギャラリー」。
そこに並ぶエルギン・マーブルは、ギリシャのパルテノン神殿をかつて飾っていた大理石彫刻だ。
19世紀初めにオスマン帝国支配下のアテネから、英国大使エルギン伯爵が英国へ持ち帰って以降、
いまだに英国とギリシャの間で返還をめぐる議論が交わされている『いわくつき』の品でもある。
今回はこの彫刻群を持ち出したエルギン伯爵の生涯をふり返りつつ、
エルギン・マーブルの数奇な運命をたどることにしたい。

【参考資料】『パルテノン・スキャンダル―大英博物館の「略奪美術品」―』朽木ゆり子著、新潮社/『The Elgin Marbles』B.F.Cook、The British Museum/『The Parthenon Frieze』Ian Jenkins、The British Museum ほか

 

廃墟と化した古代神殿

 見聞を広めるためのグランド・ツアー(長期旅行)が英国で流行し、上流階級の子息が競ってヨーロッパ大陸へと出かけはじめた18世紀。フランスで優雅なマナーを学んだ後、イタリアで古代ローマやルネサンスの歴史的遺産に触れる…というのがお決まりのパターンであったが、中にはさらなる『古代ロマン』を求め、ギリシャへと足をのばす者もいた。
神学者の家系出身で、のちに画家でありながら考古学関連の文筆家としても知られるようになる、エドワード・ドッドウェルもその一人であった。イタリアやギリシャをめぐる5年がかりの旅に出たエドワードは、1801年、アテネにあるアクロポリスの丘の麓にたどり着き、丘の上にそびえ立つパルテノン神殿を見上げた。
「ようやく、夢にまで見た神殿に来たんだ!」
しかし、期待に胸を膨らませ、足取り軽く丘をのぼった彼の目に飛び込んできたのは、驚くべき光景であった。
神殿の壁沿いや円柱の間には石材が高く積み上げられ、即席の足場が設けられている。そこから梯子を用いて神殿の最上部にのぼったとみられる数人の男たちが、はめ込まれた彫刻を次々と剥ぎ取っているではないか!
2300年もの歳月を生き抜いてきた古代彫刻が無残な姿でロープに巻かれ、地上に下ろされていく情景を目の当たりにし、あまりの衝撃でエドワードの身体は大きく震えた。そして眼前で哀れな廃墟と化していく神殿を茫然と見つめた――。
この『強奪』を命じた人物が、当時英国大使としてトルコに滞在していた第7代エルギン伯爵トーマス・ブルース(Thomas Bruce, 7th Earl of Elgin and 11th Earl of Kincardine)。将来を約束された若きエリート外交官が、なぜ英国内外から非難を浴びせられる「略奪者」に変貌したのだろうか?

 



アクロポリスの丘には、古代ギリシャ建築を代表する4つの傑作、プロピュライア(前門)、
パルテノン神殿、エレクティオン神殿、アテナ・ニケ神殿がある。
© Harrieta171

 

 

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