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No.989 6月22日発行号

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英国に関する特集記事 『サバイバー/Survivor』

2015年9月3日 No.897

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ふたりの偉大なる女王に敬礼!

エリザベス2世とヴィクトリア女王

まもなく訪れる、2015年9月9日。この日は、新たな記念すべき日として英国史に刻まれる可能性がきわめて高い。エリザベス2世が、在位期間でついにヴィクトリア女王の記録を破り、単独首位に立つであろう日だからだ。今号では、60年以上という在位期間を誇るふたりの女王についてお届けしたい。
QE II vs Victoria

右側写真:ヴィクトリア女王が笑みを浮かべている珍しいショット。68歳当時のもの(1887年、Charles Knight撮影)/円内の絵画:4歳当時のヴィクトリア王女(1823年、Denning Stephen Poyntz作)
左側写真:2015年5月27日、国会開会式に臨んだエリザベス2世(Stephen Lock撮影/i-Images)/円内の写真:3歳の誕生日を迎えたばかりのエリザベス王女。家族からは「リリベット」と呼ばれていた。なお、2歳当時の王女に会ったチャーチルが「幼少であるにもかかわらず、威厳を漂わせ、思慮深さを感じさせる」と感想を述べたというエピソードが残っている。

●サバイバー●取材・執筆/ 本誌編集部

女性君主は繁栄のシンボル

英王室の歴史は、『征服王』ことウィリアム1世が戴冠した瞬間から始まった。1066年のことである。39歳で即位した同王は、1087年、奇しくも9月9日に60歳でこの世を去る。在位21年。イングランド各地に要塞を兼ねた城を建設し、戦いに明け暮れた生涯だった。
以来、928年。共同統治の場合は君主が2人いたとして数えるとエリザベス2世は42人目の君主となる。
この間、わずか9日間で廃位を強いられたのち、処刑された悲劇の女王、ジェーン・グレイのような人物や、リチャード3世の陰謀で落命したとの説が根強い、在位2ヵ月半のエドワード5世もいる。ちなみに、ジェーンが即位したのは15歳、エドワード5世にいたっては12歳の時。どちらも、有力貴族たちの権力闘争の道具として利用された結果、王冠を頭にのせられてからほどなくして短い一生を終える、むごい運命をたどった。
また、1422年に生後約9ヵ月で即位したヘンリー6世のような例もある。ただ、50歳で没した同王は40歳で廃位させられたため、在位期間は39年にとどまっている(途中、半年ほど復位)。
何歳で即位し、いつまで生き永らえられるか。
それぞれの君主が玉座についたあと、長く王冠をいただき続けることができるかどうかは、運次第だったとすると、在位期間の長い君主はやはり、相当の強運の持ち主といえる。1000年に近い英王室史上、在位40年以上でその強運ぶりを示した君主はわずか6人だ。

■ヘンリー3世(在位1216~72、計56年)
マグナカルタに署名した、『失地王』ジョンの長男であり9歳で即位、65歳で逝去。
■エドワード3世(在位1327~77、計50年)
ヘンリー3世の孫にあたる。15歳で即位、64歳で逝去。
■エリザベス1世(在位1558~1603、計44年)
ヘンリー8世の次女。25歳で即位、69歳で逝去。
■ジョージ3世(在位1760~1820、計59年)
ヴィクトリア女王の祖父。22歳で即位、81歳で逝去。
■ヴィクトリア女王(在位1837~1901、計63年)
現時点(2015年9月3日)では、最長在位記録保持者。18歳で即位、81歳で逝去。
■エリザベス2世(在位1952~現在に至る)
父君、ジョージ6世が56歳(在位期間は15年)で病没したのをうけ、25歳で即位、現在89歳。

この6人のうち、半数が女王である。女性で英君主の座についたのは8人にしか過ぎないことを考えると、割合の高さは際立っている。1588年に、その頃、世界最強といわれたスペインの無敵艦隊を破る快挙を達成したエリザベス1世以来、英国(古くはイングランド)は女性君主のもとで大いに繁栄するといわれるようになった。長期にわたる同一君主による統治下で、内乱もなく、政治が安定すると、国が栄える可能性は大いに高まると考えられるとはいえ、根拠のない思い込みではなさそうだ。
事実、ヴィクトリア女王の時代に英国は「日の沈まぬ」大英帝国となった。エリザベス2世の御世が、後世でどう評価されるかはまだまだ知りようがないが、在位60年を超えるだけに、肯定的にとらえられることはまず間違いない。しかし、ヴィクトリア女王が生きた時代とくらべると、世界情勢は激変。君主ひとりの力でできることはきわめて限られている。それを考慮しても、エリザベス2世の奮闘ぶりは特筆に価すると見るのは筆者だけではなかろう。

覚悟を固めた、4男坊の娘

現在の英国は立憲君主国と呼ばれる。君主の立場は「君臨すれども統治せず。The Sovereign reigns, but does not rule.」で、大いに制約される。しかし、かつては「絶対王権」という概念があり、君主になれば絶大なる権力が与えられた。有力貴族たちがこぞって君主に、あるいはその後見人になりたがったのも自然なことだった。英国史を長い間動かしてきたのは、王座をめぐる権力闘争だったことは改めて指摘するまでもないはずだ。
しかし、近代では話が異なる。フランス王室が絶えた一方で、英王室がこうして生き残ったのは、議会による締め付けが厳しく、仏ブルボン王朝の王たちのように浪費に浪費をかさねることができなかったからこそといえるが、君主になった時の「おもしろみ」は大幅に減じられてしまった。国民への気遣いから、エリザベス2世とチャールズ皇太子は『自発的に』税金を納めるまでになっており、責務ばかり重い仕事として嫌われても無理からぬこと。
しかし、ヴィクトリア女王とエリザベス2世については、運命の歯車が容赦なくまわり、君主にならざるを得なくなった時に、それを受け入れただけでなく、60年以上にわたってみごとに責務を果たしており、その取り組みの姿勢は敬意と感謝をもって認められるべきだろう。
さて、さきほど「君主にならざるを得なくなった時」と述べたが、ここで、このふたりの女王の一番の共通点といえる、「思わぬ展開により、王位がまわってきた」経緯について、それぞれ記しておこう。

戴冠式に臨んだヴィクトリア女王の姿を描いた作品
(1870年ごろ、Franz Xaver Winterhalter作)。
ヴィクトリア女王(Alexandrina Victoria)については、まず、上の系譜をご覧いただきたい。ヴィクトリア女王の父、ケント公エドワードはジョージ3世の4男にしか過ぎなかった。ところが、ジョージ3世の跡を継ぐことになっていた長男ジョージ(後のジョージ4世)の唯一の嫡出子シャーロットが死産にともない、21歳で逝去してしまう。この時、ジョージは50歳、正妻のカロラインは49歳。また、ジョージの弟たちは、多くの愛人を持ちながらも結婚していないか、正式に結婚していても子供がいないかのどちらかで、嫡出子のいない状態だった。
次世代の嫡出子をつくらねばならない―。危機感を抱いたジョージと議会は、資金援助と引き換えにして3男ウィリアム(後のウィリアム4世)と、4男エドワードを、欧州の王室出身女性と結婚させることに成功する。しかしながら、ウィリアムの初の嫡出子エリザベスは生後4ヵ月で他界してしまった。
この時点で、ヴィクトリアは王位継承権4位。だが、次男のヨーク公フレデリックが1818年に亡くなり、父エドワードも2年後に肺炎がもとで息を引き取った。また、ウィリアム夫妻にその後、嫡出子は誕生しなかった。

在位50年を迎えたヴィクトリア女王。
30年に3男ウィリアムがウィリアム4世として即位。11歳のヴィクトリアは「暫定王位継承者」となったのだが、これだけ確率の低いことがよくも起こったものだと驚くしかない。
ウィリアム4世は、晩年、ヴィクトリアが摂政なしに即位できる18歳になるまでは、生き永らえたいと周囲に話していたとされ、その望みは見事に叶えられた。ヴィクトリアが18歳になった1837年5月24日からひと月もたたぬ同年6月20日午前2時20分、ウィリアム4世は神に召された。王位についたのが65歳と高齢だったため、在位期間が約7年と短いのはいたしかたないことだった。
同日、午前6時。カンタベリー大主教と宮内長官がヴィクトリアの住むケンジントン宮殿に赴き、ヴィクトリアに謁見した。着替える間などなく、ヴィクトリアは純白の寝衣のままだったという。ここにヴィクトリア女王が誕生したのである。
その5時間半後、ケンジントン宮殿で初めての枢密院会議が行われたが、ヴィクトリアは優雅さの中にも堂々とした風格を漂わせ、ウェリントン公爵ら、政府のなみいる重鎮たちを感服させた。11歳の時に、「将来、君主になる運命だ」と知らされ、陰で大泣きしたと伝えられているが、7年のあいだに覚悟を固め、81歳でその生涯にピリオドを打つまで、女王として君臨したのだった。

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君主としての責務に全生涯を捧げる、次男の娘

1953年6月2日、戴冠式当日のエリザベス2世
(Photo Cecil Beaton, Royal Collection Trust ©HMQEII 2015)
エリザベス2世(Elizabeth Alexandra Mary)の場合も劇的としかいいようがない。
ジョージ5世の次男、ヨーク公アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ王子の第一子として1926年4月21日に産声をあげたエリザベス。妹マーガレットとともに、両親からの愛情あふれる家庭で順調な成長を見せていたプリンセスの立場が永遠に変わったのは1936年のことだった。
祖父、ジョージ5世が1月20日に70歳で逝去。長男がエドワード8世として即位したものの、あろうことか、離婚歴のある米国人女性、ウォリス・シンプソン夫人との結婚を選び、同年12月11日、責務を放棄して退位する大事件が起こる。英国国教会の長である、英君主は、離婚歴のある女性との結婚が認められていないからだった。
吃音にも悩むヨーク公は「国王になりたくない」と泣いて訴えたというエピソードが残るが、歴史は待ってくれなかった。ヨーク公はジョージ6世として即位。エリザベスは王位継承権1位となり、未来の君主としてのさだめを背負う。わずか10歳の時のことだ。
それから15年を経た1952年2月6日。エリザベスは、47年に大恋愛のすえ結婚したフィリップとともに、オーストラリア/ニュージーランドへの公式訪問の前に立ち寄ったケニアで、父王が病没したことを知らされる。すでに48年にはチャールズ、50年にはアンを出産していたエリザベスは、2児の母という肩書きに、「Her Majesty Elizabeth the Second, by the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland, and of Her other Realms and Territories, Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith」(正式にはラテン語。直訳すると『神の恩寵による、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国、ならびにその他の諸王国・諸領土の女王、英連邦元首、信仰の擁護者であるエリザベス2世陛下)を加えることとなったのである。

89歳になっても、笑顔の美しさは
変わらないエリザベス2世
(©Peter Nicholls/PA Images)。
翌53年6月2日、ウェストミンスター寺院で戴冠式に臨み、その模様は英王室史上初めてテレビで放映され、英国民約2000万人が若き女王の姿を誇りをもって眺めたのだった。
これにさきだつこと約6年。英国で「成人」とみなされる21歳の誕生日を、父ジョージ6世、母エリザベス王妃、そして妹のマーガレット王女とともに公式訪問先の南アフリカで迎えたエリザベス王女は、こう宣言した。
"I declare before you all that my whole life whether it be long or short shall be devoted to your service and the service of our great imperial family to which we all belong."
(ここで皆さん全ての前で誓います。長くとも短くとも、私はこの生涯を皆さんに、そして、私たち皆が属する英連邦に捧げることを)

1947年4月21日のことだった。
その日から、来年の4月21日で69年。この決意に変わりはなく、「devote」し続けているエリザベス2世。英君主在位の最長記録を塗り替えるはずの9月9日にについては、ヴィクトリア女王の逝去を祝うようなことはしたくない、と一切の祝賀行事を禁じているため、その日は通常どおりの公務の一日となる。
しかし、来年の90歳の公式誕生日には、バッキンガム宮殿前の大通り、ザ・マルで1万人の慈善団体関係者を招いて一大ストリート・パーティーが開かれるのをはじめ、盛大に祝賀行事が繰り広げられる予定だ。
また、あと7年となったプラチナム・ジュビリー(在位70年)もぜひ迎えてほしいと、多くの英国民が心から望んでいることだろう。英国国教会の教徒でなくとも、こう唱えずにはいられない。
God save the Queen!

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勝手に比較!ふたりの女王 華麗なる対決

性格…エリザベス2世のほうが安定感あり?
【エリザベス女王】4月21日生まれのエリザベス2世はおうし座。おうし座は穏やかで愛情深く、安全と安定を求めるが、慎重である分、機敏に動くのが苦手であることが多い。また、忍耐と根気と細心の注意をもって仕事に取り組む星座といわれる。書類や手紙に目を通し、必要な場合は署名するなど、女王としての仕事は夏のホリデー中も休みなし(休むのは12月25日のみ)。さらに年間300~400件もの公務をこなすという英君主の職務は、とにかく勤勉なエリザベス2世だからこそ63年も続けていられるのだと感心せずにはいられない。
【ヴィクトリア女王】5月24日生まれのヴィクトリア女王はふたご座。ふたご座は、頭の回転が早く、好奇心旺盛で活発・社交的。適応能力も大きいが、かなりの気分屋。また、駆け引きや舌戦を好む一方、勤勉で、いくつもの仕事を同時にこなすことのできる星座といわれる。かんしゃく持ちだったと伝えられており、夫のアルバート公のみならず、ウェリントン公など、政府の要人相手に感情を爆発させることもあったという。さらには、好き嫌いが激しく、結婚前はメルバーン子爵(一時期首相を務めた)、アルバート公死去後はバルモラル城の馬係だったジョン・ブラウン、ディズレーリ(2期首相を務めた)らを寵愛するあまり、世間の批判にさらされることもあった。

伴侶…カップル歴の長さではエリザベス2世の勝利
両者とも大恋愛のすえ結婚したので、この点では引き分け。王族・皇族関係者は政略結婚が多いというのが通念だが、その意味で、ともに幸運だったといえるだろう。

©Library and Archives
Canada/K-0000047
【エリザベス女王】エリザベス2世の夫、エディンバラ公フィリップ殿下(1921年6月10日生まれ)はヴィクトリア女王の長女の娘を母に持つ。フィリップにはこのほか、ギリシャ王ゲオルギオス1世 、 デンマーク王クリスチャン9世、ロシア皇帝ニコライ1世の血が流れている。父はギリシャ王子だったが、フィリップが1歳の時にギリシャでクーデターが起こり、フィリップ一家はギリシャを脱出。パリ、のちに英国で暮らすようになる。1947年、英国に帰化。同年、エリザベス2世と結婚。婚姻生活は67年を数え、英君主とその配偶者の婚姻年数としては文句なく第1位。日々、記録を更新中。

The Royal Collection
©2010 HMQEII
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王はザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート(1819年8月26日~61年12月14日)と1840年に結婚。アルバート公は後に、女性君主の配偶者として「プリンス・コンソート(Prince Consort)」の称号を与えられた。結婚式でヴィクトリア女王が純白のウェディング・ドレスを着用し=写真下、これが流行。以来、結婚式で白いウェディング・ドレスを着ることが定番となった。しかし、1861年にアルバート公が腸チフスで死去。婚姻生活は21年。ヴィクトリア女王の嘆きは尋常ではなく、その後約10年、公務から身をひいた。公務に復帰してからも、喪服の着用はやめようとしなかった。

子供の数…ヴィクトリア女王の圧勝

Photo James Reid,
Royal Collection Trust
©HMQEII 2015
【エリザベス女王】エリザベス2世は、夫エディンバラ公フィリップとの間に、チャールズ皇太子、「プリンセス・ロイヤル」ことアン王女、ヨーク公アンドリュー王子、ウェセックス伯エドワード王子の3男1女をもうけた。このうち、エドワード王子以外は離婚歴ありで、エリザベス2世は子供たちの結婚生活について思い悩むことが少なくなかったはずと想像できる。
チャールズ皇太子はすでに67歳。王位を譲る必要性を説く声も聞かれるようだが、離婚歴のあるカミラ夫人と『結婚』した時点で、同皇太子は、みずから英君主になるにあたっての大きな障害をつくってしまっている(現行の法律では、英国国教会の長を兼ねる英君主は、離婚歴のある者との婚姻が認められていない)。このまま孫のウィリアム王子に王位を譲るほうが良案と、エリザベス2世が内心考えていたとしても、国民の多くは反対したりしないだろう。
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王は、夫アルバート公との間に4男5女をもうけた。夭逝した子供はおらず、第8子 のレオポルド(オールバニ公)は31歳で亡くなったものの、第7子アーサー(コンノート公)は92歳まで生き永らえるなど概して長命だった。長女ヴィクトリアはドイツ皇帝フリードリヒ3世の皇后、次女アリスはヘッセン大公ルートヴィヒ4世の妃となるなど、娘を欧州各国の君主・公爵クラスの男性に嫁がせ、在位中に孫40人、ひ孫37人が誕生するに至った。ヴィクトリア女王が「ヨーロッパの祖母」と呼ばれたのはこのため。ただ、ロシア皇帝ニコライ2世の皇妃となった、ヴィクトリア女王のお気に入りの孫娘アレグザンドラ(次女アリスの娘)は、1918年、ロシア革命の際に一家ともども殺害されるという、悲しい末路をたどった。ニコライへの嫁入りを応援したヴィクトリア女王が、1901年に他界していたことはせめてもの慰めと言えそうだ。

公式訪問国の数…エリザベス2世の圧勝
【エリザベス女王】交通手段の飛躍的な進歩により、王室外交はかつてないほど活発になっている。エリザベス2世は72ヵ国・地域を歴訪。ただ、この数字をもって単純に「エリザベス2世圧勝」とするのは不公平という気もする…。
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王が訪れたのはフランスとアイルランドのみ。1876年より英君主がインド皇帝もかねることになり、ヴィクトリア女王はその初代となったが、インド訪問は行われなかった。

公務の数…比較できず
■「公務(official engagements)」という概念がヴィクトリア女王時代には十分確立されていなかったため、比較が困難。ただ、エリザベス2世のこなす公務数が超人的であることは確か。2013年は344件、14年は393件を記録。今年はややスローダウンしたとされているものの、感服するばかり。

首相の数…両者とも10人以上で五分五分
【エリザベス女王】エリザベス2世のもとで首相となった政治家は、チャーチルからキャメロンまで現時点で13人。サッチャー元首相とはウマが合わなかったと言われているが、その葬儀にエリザベス2世が参列し、世間を驚かせた(英君主がこうした葬儀に参列するのは異例)。
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王のもとで首相となった政治家は、メルバーン子爵からソールズベリー侯爵まで10人(ただし、4度首相となったグラッドストンなど、複数回首相となった人物は「1人」と数えた)。なお、ヴィクトリア女王はグラッドストンが大嫌いだったという。

ペット…コーギー犬へのなみなみならぬ愛情でエリザベス2世に軍配
【エリザベス女王】エリザベス2世は馬に加え、イヌ好きであることでも知られる。短い脚が愛くるしい、コーギー犬2匹、およびコーギー犬とダックスフントとの交配種「Dorgis」2匹の計4匹。
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王も、犬を飼ったり、乗馬を楽しんだりするなど、動物嫌いではなかった(絵画は、ヴィクトリア女王が14歳の時のもの。足元では、愛犬のスパニエル「Dash」がたわむれている)。

趣味…乗馬とアートで勝負はつかず

© Eva Zielinska-Millar
【エリザベス女王】エリザベス2世の趣味は、なんといっても乗馬。89歳の今でも、乗馬を楽しむ。ヘアスタイルが乱れるのが嫌で、周囲の心配はよそに、ヘルメットをかぶらずスカーフで済ませることでも有名。また、競馬にも強い関心を寄せており、2013年には、同女王所有のエスティメイト(Estimate)がゴールドカップ(G1)で優勝。
【ヴィクトリア女王】ヴィクトリア女王の絵を描く才能はずば抜けていた。自画像、子供たちの姿などを描いているが、その腕前にはうなってしまう(絵画は、ヴィクトリア女王が16歳の時に描いた自画像)。

ふたりの女王が登場するおすすめDVD

The King's Speech
『英国王のスピーチ』

(2010/118分)
吃音(きつおん)に悩むジョージ6世(コリン・ファース)と、スピーチ矯正の専門家であるオーストラリア人、ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)の関係にスポットをあてた人間ドラマ。ジョージ6世の妻、エリザベス(故クイーン・マザー)に扮するのはヘレナ・ボナム=カーター。コリン・ファースは、この作品で念願のアカデミー賞主演男優賞を見事獲得。

The Queen
『クィーン』

(2006/104分)
1997年、ダイアナ元妃の突然の事故死に際し、対応が冷たいとして国民の猛反発を受けるエリザベス2世(ヘレン・ミレン)の苦悩と、事態収拾に奔走するトニー・ブレア首相(マイケル・シーン)の姿をえがく。この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞したミレンは、その前年に、テレビドラマ・シリーズ『Elizabeth I(エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~)』でも主演を務めた。

The Young Victoria
『ヴィクトリア女王 世紀の愛』

(2009/102分)
ケンジントン宮殿で抑圧された日々を送っていた若きヴィクトリア(エミリー・ブラント)は弱冠18歳で即位する。まもなくアルバート公(ルパート・フレンド)と恋に落ちて結婚したものの、様々な問題が発生。それらを、ひとつずつ乗り越え、絆を深めていくふたりに焦点をあてる。おじのウィリアム4世をジム・ブロードベントが演じるなど、脇を実力派俳優が固めている。

Mrs. Brown
『Queen Victoria 至上の恋』

(1997/106分)
アルバート公亡き後、悲しみのあまり「引きこもり」のような生活を続けるヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)。アルバート公に仕えた馬係、ジョン・ブラウン(ビリー・コノリー)がスコットランドから呼び寄せられると、やがてブラウンを寵愛するようになり、「ブラウン夫人」と陰口をたたかれるようになってしまうが…。身分を越えて、互いを思いやるふたりの姿をつづる。
 

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